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ハッピージャンプ ハッピーライフ

  駅前の広場は、子供達でいっぱいだった。
  キャッキャッとはしゃぐ子供達の声を聞いていると、何だか弾んだ気持ちになってくる。子供は可能性の塊だ。どういう大人になるのか、いまの段階では想像できない。例え、彼らの子供時代が何度もやり直されたものでも、だ。


  昔、この国は少子化に悩んでいた。
  当たり前の話。
  子供を育てるのに適した環境を、社会が供していなかったのだから、自業自得だよね。
  そのことを社会、国家が認識、反省し、体制を大きく見直したのが数十年前のこと。
  しかし、その時には、全てが手遅れになっていた。
  同時進行で超高齢化社会が到来してしまっていたから。
  少ない若年層に頑張って貰うには、もはや何もかも手遅れだったのだ。
  しかし、そこは世界に冠たる技術立国にして無宗教国家。
  問題点をテクノロジーによってカバーすることに成功した。


  ひとつはクローニング。
  西欧圏では禁忌の技術とされていたこの技術も、この国ではそこまで大きな問題とはならず、独特の進歩を遂げていた。このあたりが無宗教国家の強み。
  ただ、クローンは所詮は複製。
  できあがった複製の体は、あくまでもコピーで過ぎず、タンパク質の塊に過ぎなかった。その体を動かすソフトウェア、昔の人が言う「魂」と言われるものは作り出せなかったのだ。
  人間の手では「ガフの部屋」は手に入らなかった、と前に読んだ本に書いてあった。よく意味は分からなかったけれど。


  そこで登場したテクノロジーがDNAコンピュータ。
  と言っても、本当に塩基配列だけで動くコンピュータというわけじゃない。
  実際には、人間の塩基配列に近い塩基素子コンピュータと電子デバイスとの組み合わせによって演算処理を行うコンピュータであり、これは実用化の目処が立つと同時に猛烈な勢いで小型化が進んだ。
  結果、それは人間の体内に納めされるほどの大きさにまで小型化され、いまに至る。
  小型化と人体へのインプラント、それは先ほど述べたクローニングにおける問題点の解決のため。
  「ガフの部屋」(本当にどうしてこういう呼び方をするんだろう?)は手に入らなかった。ならば、元からあるものを利用すればいい。
  人体に埋め込まれたDNAコンピュータは、本人の脳とともに情報をため込み、処理していく。完全なもう一つの脳として。
  そして、本体が寿命を迎えた後、DNAコンピュータは取り出され、新しい体に移されるのだ。
  新生児となった体に。
  いままでの人生の経験値とともに。
  人格というソフトウェアとともに。
  まさに人生の再生。
  こうして、二つのテクノロジーを両輪として、町には子供が溢れるようになった。
  同時にこれは実質的な「不老不死」の実現でもあった。
  故に、現代では人の命の価値は著しく軽くなった。


  グシャリと嫌な音が近くでした。
  また、駅ビルからの飛び降り自殺のようだ。
  最近、とみに増えている気がする。
  その為か、周りで騒ぐ人はいない。
  発見した駅の職員だろうか?まだ二十歳そこそこ(と言っても多分実年齢はかなり高齢の筈)と見える青年が、露骨に嫌な顔をして、携帯電話を操作している。死体処理を関係機関に依頼しているのだろう。
  何か特別な事情でもない限り、死体からはDNAコンピュータが抜き出され、また新しい体に移される。
  そうして、新しい人生を再スタートさせるのだ。
  このところ、このリスタートを狙って、意図的に人生をリセットする者が増えてきた。政府の方でも問題視し始めていて、意図的なリセットに対しては何らかのペナルティを科すべきという声もあがり始めている。
  そのせいか、「駆け込みリセット」とでもいうべき自殺が増えているのだ。
  駆け込み・・・・・・そういえば、あたし自身もそれを狙っている側の人間だとは言える。
  一緒に暮らしている彼との関係に関し、あたしはいま役所にある届けを行って来たところなのだ。
  今後、彼とどういう関係を続けていくかを決める大事な手続きを――
  考えながら歩いているあたしの足元にボールが転がってきた。
  そのボールを追いかけて来る男の子の姿が目に入ったので、あたしは屈み込んでそのボールを拾い上げ
  「はい」と駆け寄ってきた男の子に手渡した。
  「おねえさん、ありがとう」
  男の子は、惚れ惚れするような笑顔であたしからボールを受け取ると、ボールを持ったまま仲間の子供達の元に走って行った。
  可愛い男の子・・・・・・でも、あたしの「彼」の方が可愛らしいかな?
  でも、さっき見せた屈託のない笑み、あのいかにも子供らしい笑みからすると、あの男の子は「本当の子供」なんだろうか?
  そんなことを考えていると、くぃくぃとジーンズを引っ張る小さな手の存在に気づいた。
  いつの間にそこに居たのだろうか?
  先ほどの男の子と同じくらいの年格好。小学校に上がる前くらいの女の子がそこにいた。
  「何?」
  尋ねるあたしにその女の子は、ニッと不敵な笑みを浮かべ
  「ねえ、これ」と指二本をつきだして見せた。「持っていない?」
  何のことか分からず首を傾げるあたしに
  「あー、分からないかな?たばこだよ、たばこ」
  とふて腐れたように答えた。
  「ごめん、あたし、吸わないから」
  「何だよ、使えねぇな」
  この口の利き方といい、たばこを求めることといい、この女の子の方はクローンなのだろう。やはり、「本当の子供」とは違う。見た目は可愛らしい子供でも、中身は大人なのだ。いや、ひょっとしたら「老人」の可能性だってある。
  「さっきの子とは大違い・・・・・・」
  あたしの口からつい本音とも言うべき言葉がついて出る。すると、それを耳ざとく捉えた女の子は
  「あははは・・・・・・」
  毒々しい、およそ子供らしくない乾いた笑い声をあげた。
  「そうだね、そりゃ、そうだ。あいつは“子供”だもんね」
  「そうね。“本物の子供”はやっぱり違うわ」
  「“本物の子供”・・・・・ねぇ・・・・・・」
  女の子は、呟きながらもなお笑いをやめない。
  「ねえ、嬢ちゃん」
  女の子は挑むような目つきであたしを見上げる。それにしても、いまのあたし、三十にもなろうかというあたしを捕まえて「嬢ちゃん」呼ばわりとは、この子は本当は“いくつ”なんだろうか?
  ピンクのカーディガンにエンジ色のミニスカートに白いハイソックス。見た目だけなら、とても女の子らしい装いだと言えるが――
  「いいこと教えてあげるよ。さっきの子、あいつ、あたしと同じ“歳”だよ」
  女の子が続けて言った内容に、あたしは目を丸くする。そのあたしの反応が面白かったのか、女の子はまたニヤリと口元を歪めた。
  「あいつさぁ、リセットする時、過去の体験記憶は消してくれって遺言に残していたんだよね。で、お役所も律儀にあいつの記憶、全部消しちゃって、いまじゃあの通り、普通の子供と変わらないってわけ」
  クローンであの”子供らしさ”・・・・・・
  おそらく、であるが、この子(というべきか)はあたしにその事実を伝えることで、あたしをがっかりさせたかったのではないかと思う。
  しかし、結果は逆だ・・・・・・
  「そう・・・・・・いいことを聞いたわ。ありがとう」
  女の子の言葉にある確信を抱いたあたしは多分満足げな笑みを浮かべていたと思う。
  あたしの表情を見上げた女の子は不思議そうに首を傾げた。
  ああ、それなりに“歳”を重ねても、あたしの本心までは見えないようね。
  ところで、この女の子はどうしてあの男の子のことを知っていて、なお一緒に居ることが出来ているんだろう。
  ふとそう思ったあたしの考えを読んだように、女の子は離れた場所でボール遊びに興じる男の子の姿を目を細めて眺めつつ
  「あたしさぁ、いまあいつと同じ施設にいるんだよ」
  とぼそりと語り始めた。
  彼を見つめるその目は、友達というよりも・・・・・・
  「以前、というか、リセットする前は、あたしとあいつ一緒に暮らしていたんだよね。あいつ、昔から変に頭のいい奴でさ。何だか、あたしには分からないことで色々と抱え込んでいたみたい。本当、頭がいいくせに変なことで不器用でさ。子供の頃から何も変わっていなかった」
  彼女の語りは、あたしに聞かせると言うよりも、まるで自分自身に言い聞かせているかのよう。そう、自分自身と彼の過去を忘れないために。
  彼が忘却の彼方に押しやり、彼女だけが抱え込んだ記憶を忘れないための一人語り。
  「子供の頃からずっと一緒で、気がつくと大人になったら一緒に暮らしていた。で、部屋に戻っていたら・・・・・・」
  あとに続く答えは、聞かなくても大体の見当はついた。
  「で、あとは」と彼女は、自分の手首をあたしに向けて、また乾いた笑顔を浮かべた。これで、彼女がどういう方法で死を迎えたのかが分かった。「まぁ、後追いというやつね。あたしも気が動転していたんだろうね。ただ、遺言であいつと一緒にリセットするなら、同じ施設で、という希望は出していたから、いまはあいつと同じ施設に居るわけ。あたしもあいつも近親者はいなかったから、施設行きなのは見当ついていたしね」
  そう、いまの時代、彼女達のようなケースがあるため、養護施設は本当の意味で身寄りのない子供とリセットして子供になった者達との比率はほぼ同数という状態になっていた。このことは新しい社会問題になりつつある。
  本当の子供と、大人だった頃の記憶を引き継いだ見た目だけの子供とが同じ場所、同じルールで暮らしていると、色々と難しい問題が生じてくるものだ。
  「ただ、あいつが過去の記憶を消しちゃっていたのは予想外だったな・・・・・・でも」と語る彼女の顔には、先ほどまでの乾いた笑顔とは違う柔らかな笑み浮かんだ。「その分、あたしがしっかりしていればいいんだし。いまはちょっとしたお姉さん気分を味わっているよ。あいつを守ってもあげられるしね。本物の子供なんかに負けやしないし」
  「そう・・・・・・じゃあ、いまは幸せなの?」
  あたしがそう問うと、彼女は「さぁ、どうなのかな?」と首を傾げた。
  「不幸だとは思わないけど・・・・・・ただ、あいつ本当に中身は子供になっちゃったからさ。ちょっとつまんないこともあるよね。股を開いてみせたって不思議そうにしているしさ」
  「ちょっと・・・・・・変なこと、いまから教えているんじゃないでしょうね?」
  あたしが顔をしかめると、
  「あたしもあいつもろくな育ちじゃなかったからさ。つい、そういうことしちゃうんだよね。一応、気をつけている積もりなんだけどね」
  と言いつつ、舌を出した。その顔が“無駄に”可愛らしい。
  「でもさ、この小さな体でもさ、股を開くとそれなりに“金”になるんだよね。本当、世の中どう変わっても、変態はいるもんだね。いい小遣い稼ぎになっているよ」
  金を出す相手は大人なのか?それとも中身が大人な子供なのか?それは、怖くて聞けなかった。
  あたしと女の子が語らっていると、ボール遊びをしている子供達の中から泣き声があがった。どうやら、先ほどの男の子のようだ。
  「あいつ、また!」
  声がした途端に、女の子が血相を変えて飛び出していく。どうやら何があったのか、彼女には見当がついているようだ。
  「てめえ!このクソじじい!」
  飛び出した彼女は、猛烈な勢いでやや体の大きな男の子に殴りかかる。
  「二度とするな、って言っただろうが!何してくれてんだ?潰すぞ、こら!!」
  彼女に鼻先を殴られた男の子は、
  「うっせえよ!子供同士の喧嘩に口を出しているんじゃねえよ。ばばあ」
  と倒れたまま、鼻を押さえながらそう抗弁するが――
  「あ?」と彼女は、凄みながら、倒れた相手の股間を踏みつけた。「こっちも子供だろうが?ふざけたこと言ってんじゃねえぞ。そっちこそ、中身はじじいだろうが?何なら、いまからこの貧相なイチモツ潰して使い物にならないようにしてやるか?あん!?それとも、いまこの場でリセットさせてやろうか?」
  およそ子供同士の喧嘩とは思えない罵倒にあたしは目をそらした。
  そらしはしたが・・・・・・
  「やめてくれよーー」
  彼女に踏まれた男の子があげる情けない声は否応なしに聞こえてくる。
  「何、嬉しそうな顔をしてるんだよ。あたしに踏まれてそんなに嬉しいのかよ?」
  なおも浴びせられる罵声に、男の子は「へへへ」と気持ちの悪い笑い声をあげる。
  「ホント、生まれ変わってもどうしようもないクソ野郎だよ!」
  およそ子供同士とは思えないやりとり。
  とても嫌なものを見聞きした、と思うと同時に、絶対にああはなるまいとも思ったあたしは、まるで逃げるようにして、足早に駅前広場から立ち去ったのだった。
  去り際にまた背後からドサリと鈍い音。
  死も再生も陳腐化され、町にはローコストな命が溢れていた。


  駅前広場から歩いて十五分ほどの場所にある十階建てのマンション。その八階にあたしの借りている2DKの部屋がある。
  「ただいま」
  言いつつドアを開けると、視界に入ったのは散乱した部屋。
  誰が犯人なのかは、考えるまでもない。
  嘆息しつつ、奥へ入っていったあたしを迎えたのは――
  「何だよ、遅えじゃねえかよ」
  半ズボンで毒づく五才にも満たない半ズボンを履いた男の子。
  あたしの「彼」である。
  「ごめん、ちょっと役所に寄っていて・・・・・・おなか減った?」
  「別に・・・・・・そんなんじゃねえよ」
  ふて腐れたようにそう答える彼だが、これはウソだ。
  いくら中身が大人でも、体が子供であることには変わりない。
  新陳代謝は大人に比べて活発だし、当然空腹感に襲われるのも早い。そして、食の嗜好にしても、どうしても甘いものに偏りがちである。こればかりは、生理的なものなので、どうしようもない。
  「役所の近くでお菓子買ってきたの。いま開けるね。マドレーヌ、好きでしょ?」
  トートバッグから袋を取り出したあたしに
  「別に、好きじゃねえし・・・・・・」
  と憎まれ口を叩く彼だが、その目はしっかりと菓子袋に食いついていた。間違いなく、空腹のようだ。
  「お茶・・・・・・ううん、カルピス出すね」
  いまの彼に合う飲み物を出す為にキッチンに向かうあたしの背後で、ガサガサとビニール袋を開ける音。
  「もう!」
  我ながら、苛立ちと気怠さが同時に現れた声になってしまっていたと思う。
  「行儀悪いよ。子供じゃないんだから」
  「悪いな、子供だよ。見た目通りだ」
  マドレーヌを口いっぱいに頬張りながら、彼はあたしの目を見ることなくそう答える。
  「都合のいい時だけ、子供を主張して・・・・・・」
  いままで何度こうしたやりとりをしたことだろう。
  嘆息混じりなあたしを見ると、彼はにやりと笑って
  「何だよ、そう落ち込むなよ」
  と言いつつ、あたしの首から肩にかけて腕を回そうとする。
  大人だった時の彼のお決まりの仕草だった。大人だった時なら、そのままあたしの胸にまで腕が伸びるのだが――
  ただ、子供の体ではきれいに回すことは出来ず、あたしからすれば小さな手が手持ち無沙汰げにぶらぶらとしているのが見えるだけだ。
  ぶらぶらとした手が小さくて可愛くて、ついクスリと小さな笑いを漏らしてしまったあたしに、「何だよ」と不機嫌な、しかしやや甲高い彼の声。
  「だって・・・・・・」
  あたしなりに笑いをかみ殺しながら
  「その手、胸まで届かないよ」
  「仕方ないだろ、体が小さいんだから」
  結局、子供になっても大人だった時の癖を引きずってしまう彼のことがおかしかった。でも、ふとあたしの頬に吸い付くようにはりつく彼の子供ならではの柔らかい頬を感じた時――
  「ねえ、あたしいつまで我慢すればいいのかな?」
  心許なさが口をついて出てしまっていた。
  「仕方ねえだろ?お前が蒔いた種だ」
  そう、彼の言うとおり、嘆いたところであたしの蒔いた種だ。
  「いつまで我慢すればいいかって?そりゃ、お前」と彼の幼い顔が悪意に満ちた顔で歪み、あたしの肩に回した右手はそのままに、左手は自分のズボンのファスナーに。「こいつが使い物になるようになってからだよなぁ」
  ファスナーの隙間から出てきたのは、きれいに皮に包まれた彼のペニス。
  「でも・・・・・・」と彼はククッとおよそ子供らしくない笑い方をし、自分のペニスをあたしの顔に向けた。「こいつが使える頃には、お前のオマンコも使い物にならなくなってんじゃねえの?」
  「ふざけないで」
  あたしは、彼のその可愛らしいものを指先でつまむ。
  「おいおい、乱暴に扱うなよ」
  「大事に扱ってあげるよ、何しろせっかく“新品”になったんだもんね」
  「そういうことだよな」
  舌っ足らずな口調で呟くと彼は、ズボンをはき直すこともなく、あたしに正面からもたれかかる。あたしの腕にのしかかる彼の体重は悲しいほど軽かった。
  「こうやって・・・・・・」と彼は、その小さな手をあたしの首に伸ばし「俺がお前の首を絞めたら・・・・・・」と言いつつ、彼は空いている手で自分の後頭部を押さえる。
  「お前、俺をいきなり殴ったんだよな。何発も。あれ、何で殴ったんだっけ?」
  「熊の置物よ。木彫りの」
  「何だよ、よくそんな物が家にあったな」
  「友達がお土産に買ってきてくれたの。こんなもの・・・・・・って貰った時は思ったけれど、結果的に助かったかな?あんた、あの時、本気であたしを殺す気だったでしょう?」
  「当たり前じゃん」
  けらけらと笑いながら彼が答える。
  別に驚く答えじゃない。
  単に「お互い様」というだけの話だから。
  「でも、お互い殺し合っても、また生き返れるしな。生き残った方が、生まれ変わった方の面倒を見るって約束、役所に届けておいて正解だったよな」
  そう、あたしと彼は、そういう約束の下に一緒に暮らしていた。
  だから、喧嘩はいつも命がけだったし、それが楽しくもあった。
  世間の他の夫婦や恋人同士はどうなのかは知らない。少なくとも、あたし達はそうした関係を楽しんでいた。
  彼がその小さな手と指であたしのシャツのボタンをひとつひとつ外し、ブラジャーにまで手を伸ばした時――
  つけっぱなしにしていたテレビから、ニュースが流れてきた。
  「本日未明、○○町役場近くにて、成人男性の死体が発見されました。年齢は推定三十才前後、身長は百七十五センチほどで、現在身元の確認とともに残されたDNAコンピュータの解析が進められております」
  あたしがさっき手続きしてきた役所の近くだった。
  あたしも彼も、動きを止め、そのニュースに聞き入った後、二人揃って
  「へたくそ」
  と声を揃えた。
  DNAコンピュータには、生きている時の記憶の全てが詰まっている。
  それを解析すれば、犯人の目星など、よほどのことがない限り、簡単につけられるだろう。何より、“被害者”がクローニングで生き返ってくれれば、証言台に立つことだって出来る。
  いまの時代、本当に足跡を残さず殺人を犯したいなら、DNAコンピュータが残らないように死体から取り出すか、それが面倒だというのなら、死体そのものが跡形もなく残らなくなるような殺し方を心がけるべきだ。ちなみに、いま一番多くなった殺人方法は。相手に石油をかけて焼き殺すこと。何しろ、DNAコンピュータを形作る塩基も電子デバイスも熱には弱いのだから。
  犯罪としての殺人の意味合いは昔に比べれば、随分と変わった。
  一言で言えば、簡単に生き返れる分、扱いは軽いのだ。
  だから、皆簡単に人を殺すし、自殺もする。
  すぐに生き返れるって分かっているから。
  あたしと彼の間で起こった殺人もそう。
  あたしも彼も、お互いに生まれ変わった相手の面倒を見るという契約を交わしていた。だから、彼を殺したあたしの刑も「軽く」済んだのだ。
  そんなことを思い出しながら、あたしは
  「これ、殺した人はどうなるんだろうね?」
  と彼に尋ねた。
  「さあ、俺たちみたいに責任の取り方をはっきりさせていたら、大した罪にはならないだろうが、それだったら、最初の段階でそうだと分かっていることだろうしな。突発的に“殺してしまいました”という奴じゃないかな?」
  「そうだね」
  「ただ、DNAコンピュータを壊さなかったから、極刑ということはないんじゃないかな?代わりに、すぐに捕まってしまうだろうけど」
  殺人で極刑になる――いくら、殺人が珍しくない犯罪となった現代でも、大量殺人の場合と、DNAコンピュータまでも壊してしまった場合には、極刑が適用されるケースがあり得る。
  何しろ、DNAコンピュータの破壊は、「生き返る権利」という極めて大切な人権を侵害することになるのだから。二度と取り返すことの出来ない権利侵害。
  ひとつのニュースを切っ掛けにして色々なことを思い出し、考えを巡らしたあたしだったが、そのあたしの体の上で、彼はまだ小さな体はもぞもぞと動いていた。その動きの結果として、あたしのシャツは完全にはだけ、履いていたジーンズのホックも外されていた。彼が指を動かすたびにくすぐったくて、しかも徐々にあたしを裸にしていくその様はを見ていると、何だかいかにも「小さな大冒険」を見ているようで、あたしはつい笑い声をたててしまう。
  「笑うな!」
  あたしの笑い声に、彼が可愛らしい、けれども苛立ちをあらわにした声をあげる。
  「笑うなよ・・・・・・」
  今度は弱々しい声。
  あたしは、たまらず彼を抱きしめる。
  「なぁ・・・・・・」あたしの腕の中で彼が呟く。「やっぱり、歳の差二十五才っていうのはさ・・・・・・キツイぜ・・・・・・」
  「そうだね・・・・・・」
  そこの部分は、あたしも否定できない。
  「俺が十五になったら、お前四十だぜ。死んだ時の歳になったら、お前五十だし・・・・・・こんなの、親子でしかねえよ」
  「あたしは、それでも構わないけど・・・・・・」
  「俺は嫌なんだよ・・・・・・」
  腕の皮膚感覚が捉える濡れた感触が、絞り出すように声を出す彼の目から涙が出ていることをあたしに教えてくれた。子供の体になったことで、彼の涙腺は随分ともろくなったような気がする。
  「じゃあ・・・・・・」あたしは、家に帰るまでに行った手続きのこと、駅前広場で見たあの記憶を消した男の子の姿を思い出しながら、思い切っていままで考えていたことを口に出す勇気を振り絞る。「もう一度、やり直す?」
  「やり直すって?」
  彼は、泣いている目を隠そうともせずに、あたしを見上げた。
  「何もかも・・・・・・記憶を全部消して、最初からやり直すの。“本当の子供”みたいになって、何も分からないまま、また会うところから始めるの。同じ施設で育ってさ」
  口に出してみると、それは考えていた以上に素敵なプランのように思える。
  「今度は、“幼なじみ”って設定でさ、どう?面白そうじゃない?」
  あたしの提案に彼は目を見開き、次いで何かを考え込むように押し黙った。
  沈黙した彼にお構いなく、あたしはさっき駅前広場で見た男の子と女の子のことを話して聞かせる。記憶を消すことで、本当に可愛らしい子供らしい子供になることを。
  「それは、もう一度“死ぬ”ってことだよな」
  「一回も二回も同じことじゃない?」
  煮え切らない彼の返事に、あたしは声をかぶせる。荒っぽいようでいて、どうにも思い切りの悪いところは、生まれ変わっても変わらないようだったから。
  「お前、そう言うけれど、結構痛いんだぞ、死ぬの」
  「高いところから飛び降りたら、あまり痛さも感じないんじゃない?」
  「そうかな?もうちょっと、色々な死に方をした奴の話を聞いておけば良かったんじゃないかな?」
  「あんたが家に閉じこもって、生まれ変わりのお友達を作らないのが悪いんでしょ?」
  本当に、いざとなると、決断力のない・・・・・・でも、そういう情けないところも含めて、あたしは彼のことが好きだった。
  “生まれ変わった”ら、こんな彼のこと、大事に守ってあげるんだ。今度は“幼なじみ”として。
  あたしは、ぐずる彼に色々な話をし、時には励まし、時にはしかりつけるようにして説き伏せる。
  時間にして、どれくらい経っただろうか。
  「そうだな、“幼なじみ”も悪くないな・・・・・・」
  ようやく彼の口から、そうした言葉が漏れ始めた。
  「そうだよ」とあたしは畳みかける。「それに失敗しっちゃっても、またやり直せばいいんだから」
  「何だよ、またお前が俺を殺すのかよ」
  苦笑しつつ言う彼だが、それは別に嫌みで言っているという感じではなかった。
  「そうだよ、お望みとあれば、何度だって殺してあげるよ」
  だから、あたしも軽口で答える。
  「ひでえ女・・・・・・」
  口でそう言いながらも、彼の声には笑いが含まれている。
  「実はさ、もう手続きもしておいたんだ。役所に」
  「手続き?」
  「そう、あたしとあんたが一緒に死んだら、両方の記憶を消して、同じ施設で養育して欲しいって」
  「何だよ、もう、手を回していたのかよ。殺す気、満々じゃないか」
  「用意周到って言ってよ」
  そう言ってから、あたしは彼の柔らかい頬に軽く唇をあてた。
  「ねえ、だからさ。一緒に死のうよ。お互いこんな時代に生まれたんだからさ。生まれ変われる今のご時世、利用しない手はないって。あたし、あんたとなら、何度だってやり直せるしさ」
  「そうなのか?」
  あたしにキスされた彼は、満更でもない顔でそう口にする。
  「お前がそう言うなら・・・・・・」
  ようやく彼がそう言ってくれたことで、あたしは彼を抱え上げ、床に立たせるとはだけたシャツとジーンズのホックを直し
  「じゃあさ、死のう!」
  明るくそう宣言するや、彼の手を取ってベランダに一直線。
  「思い立ったが“吉日”って言うじゃない?昔の人はいいこと言うよね」
  「いや、意味が違うと思うぞ」
  彼はそう言うが、あたしに手を引かれたまま、特に抵抗することなく付いてきてくれる。
  「何でもいいんだよ。まぁ、あとの部屋の片付けとか色々気になることあるけどさ。とりあえず、まず死のうよ」
  そして、あたしはベランダの金具につかむと彼を抱きかかえたままよじ登った。
  地上八階の高さは、改めて見ると目もくらむ高さで、下にいる人達の姿がいつも以上に小さく見える。
  「やっぱり高いな」
  あたしの腕の中で。彼が尻込みした台詞を口にする。
  「何言っているの?この高さだから、確実に死ねるんじゃん」
  あたしは、また彼をしかりつけ、そしてゴクリとつばを飲み込みながら、よじ登った金具を思いっきり蹴った。


  いまは命も安上がりな時代。
  でも、何度だってやり直せる時代。
  偽物の子供達が溢れるこの世界。
  あたしも彼も、これからその仲間入りをすることになる。
  でも、いいじゃない?
  やりなおしの効かない人生よりも、何度もやりなおせる人生の方が素敵じゃない?
  だから、あたし達はやり直すことにするの。
  折角、こういう時代に生まれついたんだから。


  だから、一旦・・・・・・バイバイ
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