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蒼天のアイオン

i-on,the blue sky
Prelude "i-On"
本篇開始前、ヒロインの一人にして、物語を紡ぐ”お姫様”の一人であるスズカ姫の物語

スズカの船

 私の名前はスズカと言います。
 父様と母様にいただいた名前だそうです。
 だそうです……というのは、私は父様のことも母様のことも憶えていないから。
 でも……いいえ、だからこそ、私は自分の名前が大好きです。


 私が生まれてから十年と少しの間、私の暮らす世界には私しかいませんでした。
 いいえ、正しくは、私しか人間はいませんでした。
 人間以外には、庭に咲く花々とその周りを飛び跳ねる虫たち、森の中に暮らす小さな動物たちと……ゴンザとコリン。
 ゴンザは、父様と母様から私の世話をするように言いつかったロボットというものです。本当の名前は、ゴンザ……の後に長い名前がつくのですが、憶えられないので、私はゴンザと呼んでいます。ゴンザもそれでいいと言ってくれています。
 ゴンザは、ロボットというものなので、人間の私とは随分と見た目が違います。
 腕と足がそれぞれ二本ずつあって、胴体があって頭があるのは同じですが、まずその手足、いいえ胴体と頭含めても私と違ってとても固いです。ゴンザは、人間の“皮膚”というものの代わりに、“金属板”というもので体を覆っているそうです。あと、歩き方もちょっと変っています。私と同じように二本の足を交互に動かして歩くこともありますが、でこぼこのない平らな場所だと、足の裏にある“キャタピラ”というものを回して、滑るように走っていきます。その時は凄く早くて、私は時々ゴンザの背中に乗っています。とっても気持ちいいです。
 でも、あんまりゴンザを当てにすると、運動不足になるからとコリンに叱られてしまいました。


 船――そう、私の暮す世界は、一隻の大きな船なのです。
 私と私の父様母様のご先祖様達は、この船に乗って長い長い旅を続けていたそうです。
 こうしたことを知ったのは、やっぱり私が十歳の誕生日を迎えたあたりだったと思います。教えてくれたのは、コリンでした。
 コリンというのは、船のコンピューターの名前です。
 船のあちらこちらにコリンはいて、その全てがコリン。
 この船にはコリンがいっぱいいるんだと教えてくれました。
 でもそのいっぱいのコリンが一つのコリンなんだそうです。
 グリ……グリなんとかコンピューティングとかいって、何だかよく分りませんが、とにかくコリンは凄いコンピューターらしいです。


 実はこんな風にコリンのことを説明していますが、私がコリンがコンピューターっていう機械だってことを教えて貰ったのも、十歳の誕生日のことでした。
 コリンに一通りのことを教えてもらいはしたものの、頭が全然整理できないまま、ゴンザに連れられて、自分が暮す家(本当は船のエライ人、船長さんとか司令官とかいう人が暮す家なのだそうです)から、いままで行ったことのない遠い場所まで、私は行くことになりました。
 いつもは自分の足で歩くように、コリンもゴンザも言うのですが、この日は久しぶりにゴンザの背中に掴まっての遠出です。
 私はずっと小さい頃、いつもゴンザの背中に掴まったり、ゴンザに抱っこされたりして、家の周りの広場や森を散歩してもらっていた憶えがあります。
 コリンは私の勉強のためだと言っていましたが、その頃のことが思い出された私は、何だかとても嬉しい気持ちになりました。ゴンザの背中に掴まって、私が走るよりもずっと早く流れていく景色を見ていると、こういうのが“遠足気分”なのかな?と思えてきます。遠足なんて、コリンが聴かせてくれたお話の中での知識しか私にはないけれど。
 やがて、ゴンザは私の知らない景色が見える場所まで辿り着き、いつしか私達の目の前には、大きな扉が見えてきました。
 「この扉が管制ブロックと居住ブロックとの境目になります」
 ゴンザが、いつもの低い声で私にそう教えてくれました。
 顔には、いつもの優しそうなおじさんの顔が浮かんでいます。
 ゴンザの頭は丸くて、鼻も目も口もありません。
 その代わりに、その顔にはゴンザやコリンの憶えている人間の顔が映し出されます。
 ゴンザの丸い顔に、また人の顔が映り、私がそうするように口を動かし、時には目をしばたたかして話す様は、何だかゴンザの中に人が入っているようで、時々気持ち悪いなと思うこともありますが、よくよく見るとちょっと面白いです。
 「管制ブロックって何?」
 自分がいままで住んでいたのに知らないの?と誰かがいたら言われそうですが、私は自分が暮す家や周りのこともよく分っていなかったのです。
 「船を動かす人達が仕事をする場所のことです」
 ここでゴンザの声色が急に変り、丸い頭部にはさっきの男の人から若い女の人の顔が映し出されました。コリンが割り込んできたのです。コリンは、時々ゴンザの中に入ってきます。
 実は、私の周りにはゴンザ以外のロボットもいるのですが、どのロボットも皆コリンが動かしています。コリンは、こうしたロボット達のことを「駆動端末」と呼んでいました。コリンにとっては、船の中を移動しながら作業するための「仮の体」みたいなものらしいです。だから、いっぱいいるロボット達の中身は皆コリンと言うことも出来ます。
 でも、ゴンザだけは違っていて、コリンが動かすことも出来ますが、ゴンザはゴンザで「自分」というものを持っているそうです。
 “自分を持っている”という言い方は、私にはよく分らなかったのだけれど、要は「コリンに頼らなくても自分で考えて動ける」仕掛けを持っていると言うことらしいです。
 自分で考えて動くことが出来るのは、森の動物たちを別にすれば、この船の中では私とゴンザだけらしいです。
 ゴンザと一緒というのは、とっても嬉しいです。
 私は、ゴンザが好きだから。
 ゴンザもそうだと嬉しいけれど、「私のこと好きなの?」と聞いたら、ゴンザは「回答不能」とよく分らない答えを返してきました。多分、ゴンザは「好き」ということが分っていないんだと思います。私だって、「説明しろ」と言われると答えに困ってしまうけれど。
 コリンに言わせると、ゴンザのようなロボットが昔はいっぱいいたけれど、少しづつ数が減って、いまではゴンザだけになってしまったそうです。
 こういうところも、私とゴンザは似ています。
 この船には、昔は人間が大勢いたらしいのですが、いまでは人間は私一人きりだから。
 「この船は、大勢の人達を乗せていたので、その管理業務はとても大切な仕事でした。その仕事に携わっている人達は長時間拘束されることも珍しくなく、必然的にその生活環境も快適性を重視して作られたのです」
 だから、森があって、庭があって、ふかふかのベッド(いまは私の部屋にあります)があるのだとコリンは言います。
 でも「大切な仕事」か……私一人で大丈夫かな……
 コリンの話を聞いて、私はちょっと怖くなりました。
 だって、私はまだ子供でチビで……あまり言いたくないけれど、泣き虫だから……でも、コリンは言います。
 「いまは、スズカ、あなたが“船長”であり、“司令官”です」
 だから、色々なことを勉強しなければいけないと、コリンは言います。


 私が船長で司令官……でも、この船の乗客は、少なくとも人間の乗客もまた私だけなのです。
 本当なら、船を動かす人と船に乗っている人達とを隔てる壁の役を担っている扉が開き、私はゴンザの背中に掴まったまま、いままでいた場所以上に視界の開けた空間へと移動していきました。
 初めて入った場所――コリンはそこを「居住ブロック」と呼んでいました――と私がいままで過ごしてきた場所――「管制ブロック」というのだそうです――を隔てる扉は、とても厚くて頑丈そうでした。後でコリンに聞いてみたら、実際にこの船に使われている扉の中では一二を争う頑丈さとかで、そういう頑丈な扉で仕切っている理由は、居住ブロックの人達が仮に暴れても(暴動とか叛乱とか言うのだそうです)、船の管制に影響が出ないようにするためなのだそうです。
 「管制ブロックは、この船の最高意志決定機関です。それは絶対に守られなければならないものです。故にいまは、スズカ、あなたこそ、私達がいかなる手段を用いてでも守らなければいけない存在なのです。とはいえ、日々注意深く過ごすことは忘れぬよう」
 コリンがそう言った時、ゴンザも横で大きく頷いてくれました。
 でも、いまは暴動とか叛乱とか起こす人はいない……というより、人間は私しかいないんだから、そんなに用心することはないと思うんだけれど。


 ゴンザに連れられた私が扉を抜けて目にしたのは、いままでいた場所に比べても遥かに視界の開けた平原でした。
 船の中なのに平原?と、もしも私が書いたこの記録を読む人がいたのなら、不思議に思うかもしれませんが、私がそこに見たのは、本や電子データで見た「平原」そのままの景色でした。
 遠くに森らしき樹木の塊が見える他は、建物ひとつない平原。
 それも、キレイに整地されたデコボコのない、本当に平らな地面だけの世界。


 もともと、この「居住ブロック」は、何万人もの人達を収容可能な、広大な空間なのだそうです。
 だから、この居住ブロックは、本当なら人が住む家やいろんな人達が働く仕事場を詰め込んだビルという高い建物があったのだけれど、人間が私一人になってから、コリンがロボット達、駆動端末達を使って、全部片付けさせたそうです。
 「どうして?勿体ないよ」
 そのことを知った私が抗議すると
 「家屋や建物の維持にも、船内の管理リソースを割かれます。現在の私達にとっての最優先事項は、スズカ、あなたの生命維持であり、健康であり、教育なのです」
 だから、現状、維持する必要のない施設は極力排除する必要があるとコリンは言います。
 住む人がいないから、家をなくしてしまう。
 使う人がいないから、建物をなくしてしまう。
 それが、コリンの考え方、機械の考え方なのかもしれません。
 「でも……」と私はコリンに尋ねました。「また住む人がいっぱいになったら、家や建物を造ってくれるの?」
 「勿論。その必要が生じ、スズカ、あなたが望むのであれば、私達はいつでもこの船の中にあった町を再建いたします」
 コリンは、機械だから融通が利かなかったり、もの凄く割り切った考え方をしたりしますが、嘘だけは言いません。だから、住む人が出てくればまた町を作るという言葉は、約束として守ってくれると私は思います。
 それに、私一人だけとは言っても、人間がいる以上、その為に必要な施設はまだあるし、私が生まれる前からずっと、いまでも立派に動いているとコリンは言います。私が見ている「平原」の向こうには、野菜を作る畑や家畜を育てる施設があって、そこではたくさんのロボットが働いているそうです。そして、そうしたものを材料にして私がいつも食べているものやこの船の部品なんかを作る工場もあるそうです。
 そうしたことは、人がこの船の中で生きていく為には必要なもので、コリンはいまもそれを守り、いつ大勢の人間がこの船で暮しはじめてもいいように準備しているそうです。
 それを知った私は、またこの船にいっぱいの人達が住んでくれるように頑張ろうとあらためて思いました。
 でも、どうすれば、この船をまた人でいっぱいに出来るんだろう?
 そういうことを考えていて、私はふとあることが気になりました。
 それは、どうしてこの船には私しかいないのか?ということです。
 これは、別にこの時になって気がついたと言うより、ずっと前から気になっていたことでもありました。でも、コリンはずっと「いずれ教えるから」と言って、その答えを私に教えてくれませんでした。でも、いまなら教えてくれるかも……そう思った私が、改めて尋ねると、コリンはゴンザに私を降ろすように言い、「少し長い話になりますよ」と前置きをしてから、この船に私以外の人間がいない理由を教えてくれました。


 コリンによると、この船の人間が減った理由を突き詰めていくと、第一は船が旅をしているのが宇宙だと言うこと。二番目の理由としては、船に乗っていた私を含めた人間という生き物が、弱くて不完全だからということでした。
 宇宙という場所、この船の外側の世界には、空気も水も、そして重力というものもなくて、人間という生き物はそこではほんの僅かな時間でも生きてはいけない世界なのだそうです。
 だから、宇宙を旅するこの宇宙船という場所は、私が考えているよりもずっと危険の多い世界だと言うこと。
 次の理由としてコリンがあげた、人間が不完全な生き物という理由。
 このことは、いまでも私はよく分らないのだけれど、要は人間という生き物はうまくお互いの考えていることを伝えられないから、誤解というものが生まれやすいし、そうなるとすぐに争い始める習性を持っているからなのだそうです。
 私達のご先祖様達は、地球という星をこの船で旅立ったのだけれど、それはもともと新しい星への移住のためでした。
 人口爆発と環境劣化……私達のご先祖様達が旅立ったのと同じ時期、地球という星からは私の乗っているこの船と同じような移民船が数多く旅立っていったそうです。
 それは、いまから五百年以上昔の出来事だったとか……。


 そして、いまこの船にいる人間は、私一人だけ。
 どうしてこうなったのか?
 理由をコリンに聞くと
 「結局、宇宙に出ても、人間は人間だったと言うことです」
 という答えが返ってきました。
 何だかはぐらかされたような気がした私が、「どういうことか説明して」とさらに聞くと――


 人がいなくなった理由は、この船に限って言えば、病気と戦争だとコリンは答えてくれました。
 閉鎖環境での遺伝子レベルでの感染症の発症と流行。
 それが断続的とはいえ、何世代にもわたっておこった為というのが理由の一つ。
 もうひとつは、他の宇宙船との戦争でした。
 人が生きていくために必要なもの、水とか酸素とか、あと農業とか畜産業とかに必要な種みたいなもの、コリンは生物資源と言ってました、は広い宇宙の中ではとても貴重なのだそうです。それにも増して、人間が生きていける環境を備えた星はとても貴重だと。
 そうしたものがあると、どうしても人間同士で争いが生まれるのだと言います。
 私は、他の人間と暮したことがないからよく分りませんが、そういうものなんだとコリンは言いました。
 一人だと寂しいのに、いっぱいだと争うなんて、人間は不思議な生き物です。私もその人間なんだけど……。
 戦争は、宇宙という環境だとそれはそのまま互いの絶滅を目的とした徹底した殲滅戦に直結します。
 何しろ、宇宙には水も空気もないのですから、ほんの少しの時間も人間は生きては行けません。それに、宇宙での戦争では幾重にも自動化された機械同志で行われますが、それを止めるためには、自動修復やバックアップが追いつかないほどの完全な破壊が要求されます。でも、機械は戦争するためだけでなく、そこにいる人間が生きていくための手助けもしてくれています。だから、それを完全に壊すと言うことは、その中にいる、或いは近くにいる人間が生きていけなくなると言うことでもあります。さらに言えば、その破壊する対象が、相手の宇宙船そのものとなると……。


 宇宙での戦争は、ただ「勝つ」というだけでなく、相手側の「皆殺し」を前提とした戦争になってしまうのです。相手が何人、何百人、何千人、何万人であろうと、関係なしに。


 コリンは言います。
 私の暮している宇宙船は、何隻もの移住宇宙船を「絶滅」させ、また何度となく「絶滅」の危機に瀕してきたと。


 コリンは、さらに言います。
 この宇宙では、人間こそが最も危険な生物であり、最も接触には注意を払わなければならない生物だと。


 だから、コリンは、私という人間を守りながらも、人間の宇宙船には一切接触しないように船を動かしてきたのです。
 けれども、私は思います。
 私は、やっぱり、私以外の人間に会いたいです。
 男の子って、私とどう違うんだろう?
 大人の人って、私とどう違うんだろう?


 コリンは、人間を避けていますが、だからといって、私の「この船をまた人間でいっぱいにしたい」という願い事をダメだとは言いません。
 人間に会うのはダメだけれど、人間をこの船に入れるのはいいって、何だかよく分りません。
 コリンに言わせると、大事なのは私の安全と願いなのだそうです。
 私の安全のために、他の人間が乗っている船との接触は避けるけれども、私が願えば、他の人間をこの船に迎え入れる。それがコリンの考え方なのだそうです。
 でも、私はふと思ったことがあります。
 もしも……もしも、私が「死にたい」と願ったら、コリンはどうするんだろう?
 昔のことを電子書籍で読んでいると、自分で自分を死なせる人のお話もたくさん出てきます。
 自分で自分を死なせる・・・・・・殺すなんて、どうしてそういうことを望むのか、正直に言って、私には分かりません。私がもう少し大人になって、もっと色々なことを勉強すれば分るのかも知れないけれど……
 ただ、死にたいと私が願ったら、コリンがどうするのか?その質問は、実を言うとまだしていません。
 何となくだけれど、コリンの答えがとても怖いもの……になりそうな気がしたから。


 ところで、私はコリンの言うこの船の居住ブロックのただただ広い、いまは平原となった地面を見ていて、あることに納得していました。
 それはお墓です。
 管制ブロックにある私の家で読んだり見たりした知識ではありますが、昔、地球という星で私達のご先祖様達が暮していた時には、人が死んだら、お墓を作っていたそうです。
 でも、この船にはお墓がありません。
 私の暮す世界、この宇宙船という世界は、私一人からすると、広すぎるくらいに広いのだけれど。
 この船の中で死んだ人は、しかるべき儀式の後にその体を構成するありとあらゆるものが分解され、土の中に、水の中にと溶け込んでいくのだそうです。そうして、長い長い間、この船の中の「質量」というものは一定に保たれるようになっている、とコリンは教えてくれました。こういうのを、完全循環型とか閉鎖系回路とか呼ぶのだそうです。
 そうして、分解されるのは人間だけではありません。
 私のいた管制ブロックで生きている動物や虫たち、花や草や木も、分解され、命のあるもの、他の人や動物や虫や木や花の糧になったり、いま私がそうしているように吸い込む空気の源になったりしているのだと言います。
 でも、そうしていなくなった命がいま私の体を作ったり、吸い込む空気の中にあるというのなら……
 私は、この船ではたった一人きりの「人間」だけれども、私の周りにはいつも他の人達と一緒にいて、他の人達の中で暮していることになるんじゃないのかな?


 そうした色々なことを知った私の十歳の誕生日のこと。
 コリンは、誕生日のプレゼントだといって、花の種をくれました。
 テッポウユリという花の種です。
 コリンは教えてくれました。
 私の父様も母様も、花の好きな人だったそうです。
 とりわけ父様は、このテッポウユリという花が大好きだったそうです。
 実を言うと、私は父様の顔も母様の顔も知っています。
 でも、それは知っているというだけです。
 直にお話ししたことなんかありません。
 それでも、知っているというのは、その顔をコリンとゴンザが記憶していたからです。
 だから、ゴンザやコリンが私に話しかける時、その顔を父様と母様にしてもらうことだって、本当は出来ます。
 でも、私は違う人の顔にしてもらいました。
 だって、いくら映し出される顔が父様母様だとしても、そこにいるのは父様母様ではないから。それを思うと、すごく寂しくなるから。
 父様と母様の顔は、もう私の記憶の中にあるのだから、それでいいんだといまは思っています。
 それに、私がこうしていま生きているのも、父様母様がいたからだし、二人のことはコリンやゴンザの記憶の中にもあるし、こうして二人が好きだった花の種だって私の手の中にはあるのです。
 だから、私はコリンに育て方を教わりながら、このテッポウユリを管制ブロックの庭に植えようと思います。
 父様の好きだったテッポウユリの花言葉は、「正直」だと言います。
 もしも、私が誰か私以外の人間に会うことがあったなら、父様の好きな花のように、「正直な心」でお話をしたいと思います。


 それからまた時間が経ってのこと。
 私が十三歳の誕生日を迎えた日。
 船は、ある星の衛星軌道に止まりました。
 資源の豊富な星が近くにあるということで、コリンの判断で停泊することにしたのです。船はここで金属の元になる材料や水を集めるのだそうです。そうして、また更なる旅に備えるのです。
 管制ブロックにいると分りにくいことなのですが、船の中でも外でも、これからロボット達はいつも以上にせわしなく働くことになるそうです。
 コリンは、ロボットとはそういうものだと言いますが、私一人の為にいっぱいのロボットが休みなく働くのは、何だか悪いような気がします。
 私がそのことを言うと、コリンは「教育は、現状では全く問題はなし」と満足そうに答えました。何だか、よく意味が分りません。


 船の停泊期間は、私の時間で約一年以上になるそうです。
 その間に、私はまたいっぱい勉強しなくてはいけないそうです。これだけは、船が運航中でも停泊中でも変りません。
 その停泊中のこと。
 私は、コリンからまた新しいプレゼントをもらいました。
 それは、ボーダーコリーの男の子。
 「犬」という生き物です。
 人間は、地球にいた頃から、この犬という生き物と一緒に暮してきたそうです。
 コリンは言います。
 「自分以外の命あるものと暮すことで、私の情操教育を促す」のだと。
 要は、自分以外のものにも優しくしなさいと言うことらしいです。
 私は、このボーダーコリーの男の子に「ナサニエル」という名前をつけました。
 私が読んだ書籍データの中に登場した犬の名前です。
 その書籍の物語では、人間がいなくなった後、とっても賢い犬たちが支配する世界が描かれていました。
 ナサニエルは、そのお話に出てくる犬の名前なのです。
 ナサニエルにも、賢い犬になってもらいたいです。
 というより、ナサニエルの一族はもともととても賢いです。
 この船の居住ブロックの向こうには、畑や家畜を育てる施設があると言いましたが、ナサニエルの一族は、そこで羊や牛たちの世話をしています。
 ナサニエル達ボーダーコリーのしていることは、ロボットでも出来ることらしいのですが、コリンに言わせると、ロボットよりもボーダーコリーたちの方が上手にそれをこなせるのだそうです。
 牛や羊や犬たち、それに森にいる動物たち。
 この船には、人間は私だけですが、人間以外の色々な生き物がいます。
 実は、天井にだってお魚がいっぱいいるのです。
 この船の外と中の間、私からすれば天井だったり、足下だったりするそこは、水で充ち満ちています。
 これは、私が飲む水だったり、食糧になるお魚を飼う為でもありますが、宇宙にいっぱいある危険な放射線から中にいる生き物を守る為の吸収装置の役目もあるのだとコリンは言います。だから、私のいる船の内側の壁は水で一杯なのです。私や動物たちが暮すこの世界は、宇宙船の中の世界ですが、同時に水中の世界でもあるのだとコリンは教えてくれました。
 犬や羊や牛、魚や森の動物たち、そして庭の花々や森の木々。
 この船の中には、命のあるものがいっぱいです。
 だから、船長である私の責任は重大です。
 だから・・・・・・私はいっぱい勉強しないといけないらしいです。
 でも、無理数と有理数とか、虚数と対数とか、波動関数とか弾道計算とか、流体力学とか金属工学とかは、とっても難しいです。
 私は、やっぱり阿呆なのかもしれません。
 でも、花を育てるのとナサニエルの躾は上手だとコリンに褒めてもらえました。
 だから、庭のテッポウユリもナサニエルもとても元気です。
 ナサニエルと言えば・・・・・・あまり考えて良いことではないのでしょうが、もしも・・・・・・もしも私に何かあっても、庭の花々やナサニエルは元気でいられるでしょうか?
 もしも叶うことなら、あのナサニエルと同じ名前の犬が出てくるお話のように、犬たちが皆もっともっと賢くなって私の代わりにこの船を動かして、他の生き物たちの世話をしてくれたならと思うことがあります。
 このことをコリンに言うと、コリンには「そんなことはあり得ない」と言われてしまいました。
 コリンは、とても物知りだし、頭もいいけれど、ロマンがなさ過ぎると思います。


 船が停泊して一年近く経った頃――
 予定の物資補給がほぼ終わりかけていた時期に、コリンは同じ星の重力圏内に人工物と思われるものをいくつも発見したと言ってきました。
 私以外の人間達が動かす船の可能性があるそうです。
 その大きさは、私のいる船よりもずっと小さなものですが、それだけに動きは素早くて小回りの利く宇宙船の可能性が高いそうです。
 これは、とても危険な状況だとコリンは言います。
 最大望遠で見せたもらったその小さな船のひとつ(とは言っても二百メートルくらいの長さがあるそうです)は、真っ白でとても綺麗な船に思えました。あれが「船」ならの話ですが。
 その船の中からは、度々もっと小さな船が出てきて、周囲を見て回っている様子です。どうも、何かを探しているようなのですが、それはひょっとしたら、私のいる船のことなのかもしれません。
 コリンは、外への信号になるものの発振を抑え、船の周りを小惑星の岩で覆って隠れるようにしていましたが・・・・・・
 ある時、とうとうそれも相手の船に見破られてしまいました。
 白い船から出てきたもっと小さな船が、私のいる船に向かって一直線に飛んできたのです。
 「スズカ」
 コリンの声が、庭のテッポウユリに水やりをしている私を呼びました。
 「緊急事態です。正体不明の船体、アンノウンが、この船に急接近をかけてきています。防衛シフトはとっていますが、相手の動きが速すぎて、こちらの対処が間に合いません」
 コリンは言います。反応速度や軌道パターンからすると、相手の船が有人である可能性はない筈なのですが(人間に耐えられる動きではないそうです)、その船(らしきもの)からは人間の声でこちらに対して通信の呼びかけがなされていると。
 「機械音声でもなければ、予め録音されたものでもありません。生きている人間の声です」
 「その声は聞ける?私が聞いても分る?」
 コリンの報告を聞いた私は、自分でも気づかないうちにそう尋ねていました。
 「はい。相手側の音声は、標準的な公用英語であり、スズカにも聞き取れる言語であることは確認済みです」
 初めて聞くことになる私以外の生きている人間の声。
 嬉しくもあり、怖くもあり・・・・・・そんな感情が、その時の私の中では渦巻いていたと思います。
 嬉しさは、私に早くその声を聞かせて欲しいという焦りになり、怖さは傍らにいるナサニエルに私を抱きつかせます。
 「早く、誰か答えやがれ!」
 飛び込んできたのは、元気の良い、だけど荒っぽい声。男の子の声でした。
 「こちらアイオン。リキッドシェルのアイオン、アイオンのニャン、コ・ディン・ニャンと言います。シュヘラザード所属。応答願います」
 次に聞こえてきたのは女の人の声でした。
 「こっちは太郎だ!」
 女の人の声の次には、また先程の男の子の声。
 「アイオンの太郎!自由戦艦シュヘラザードから来た。さっさと応答して、中に入れやがれ!」
 「太郎というんだ・・・・・・」
 生まれて初めて聞く男の子の声。
 私よりも年上でしょうか?年下でしょうか?私より背は高いのでしょうか?低いのでしょうか?太っているのでしょうか?やせているのでしょうか?もう一人のニャンって女の人、どういう人なんでしょう?優しい人?綺麗な人?明るい人?髪の長い人?短い人?
 アイオンって何でしょう?シュヘラザードって何でしょう?自由戦艦って、どういうものなのでしょう?
 「おそらく、シュヘラザードというのは、状況から判断する限り、あのアンノウンが発進してきた白い宇宙船のことかと思われます」
 コリンの言う通りなら、ほんの少し離れたところには、他にも大勢の人間がいることになります。
 私は、その人達とお話ししてもいいのでしょうか?
 会ってもいいのでしょうか?
 太郎という男の子は、ニャンという女の人は、そして多分いっぱいいる大人の人達は、まだ子供な私の話をちゃんと聞いてくれるでしょうか?


 人間同士が宇宙で出会うことで、沢山の災厄が生じる・・・・・・私はそう学んできました。
 それでも、私は私以外の人間と会ってみたい。
 会って、話をして、一緒に暮してみたい。
 そういう感情が、いままでになく強く生まれてきました。
 でも、同時にどうしようもなく怖いと思う気持ちもあります。
 私は、ふと目の前にあるテッポウユリを見やりました。
 父様母様が好きだったテッポウユリ。
 「正直」という花言葉を持つ、お二人が好きだった白い花。
 ・・・・・・だから、私は、自分の気持ちに「正直」になろうと思います。


 「コリン、こちらから相手に呼びかけることは出来る?」
 私は、あの太郎という男の子とニャンという女の人と話をしたいと思います。会ってみたいと思います。
 それでいいんだと、テッポウユリの花の向こうから父様と母様が言ってくれたような気がしました。
 「スズカ、送信準備が整いました」
 そして、 コリンは私の願いを聞き届けてくれました。
 私はゆっくりと息を吸い、生まれて初めての“人間”同士の会話に臨みます。
 最初に何を話したらいいのでしょう?
 そう考えた時、その答えは自然と私の口をついて出ていました。


 「はじめまして、私の名前はスズカと言います。この船でたった一人の人間です。私は、あなた達と話したいと思います。会いたいと思います」
 相手の人達は、いまこの船に近づいている太郎という男の子とニャンという女の人には、私の声はどういう風に聞こえているのでしょう?でも、もう私の声は、コリンを通じて相手の人達に届いているはずなのです。シュヘラザードという、あの二人が発進してきたという船の中の人達は、私の声を聞いてどう思っているのでしょう?


 いい人達だといいけれど。
 悪い人達でなければいいけれど。


 色々な考えが頭の中を渦巻いて怖くてたまりませんが、それでも私は声を発し続けます。いまはそれしか出来ないから。出来ることは、それを始めることだけだから。
 「私の声が聞こえますか?お話ししてくれますか?会ってくれますか?」
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