蒼天のアイオン

i-on,the blue sky

第一部 秘密の花園

第一話 邂逅前夜(1)

 少女がテッポウユリの花に水を掛けていると、そばに控えるボーダーコリーが小さくうなり声を上げた。
 「どうしたの、ナサニエル?」
 ボーダーコリーを「ナサニエル」と呼ぶのは、背中まで伸びた長い黒髪と大きな黒い瞳が印象的な少女。細い腕を伸ばし、人で言えば頬にあたるところ、長毛種の犬ならではの飾り毛を腕同様細い指先で撫でながらナサニエルを宥める。
 「あなたがそんな怖い声を出すなんて珍しい。また森の狐が庭に迷い込んだのかしら?」
 屈み込んで愛犬を撫でながら周囲に目を配るが、特別異変らしきものは見当たらない。
 「別におかしなところはないよ、ナサニエル、あなたお腹減っているの?」
 少女がそう言いながら鼻先に顔を近づけると、ナサニエルは甘えるようにピスピスと鼻を鳴らした。
 「ふふ、何?何を甘えているの、ナサニエル?」
 くすくすと笑いながらナサニエルの飾り毛を撫でていると――
 警戒態勢への移行を知らせるアラートが鳴り渡り、船外監視カメラからの映像を映す仮想ディスプレイがスズカとナサニエルの周囲にいくつも立ち上がった。仮想ディスプレイに映し出されたのは、少女のいる庭の外側、さらにその外側の世界――真空の宇宙空間だった。ディスプレイの中の宇宙空間の中央に赤い正方形が浮かび上がり、その正方形がぐんぐんと拡大、さらにその正方形の中に新たに赤い正方形が生まれ、その正方形もまた拡大、その中央に銀色の物体があるのが見える。
 「拡大率はこれがほぼ限界ですが、こちらの軌道より二天文単位の距離に人工の物体を確認しました。九十パーセント以上の確率で、人類の作った宇宙船と思われます。単極子エンジン固有の空間振動も感知」
 少女は緩やかな黄色い長袖のワンピースを纏っているが、その右手首の袖口に巻かれた銀色の細いブレスレットから、状況を報告する男性の低い声が発されていた。
 「危機管理システムの警戒レベルを二ポイント引き上げます、スズカ、コマンダースーツに至急着替えることを推奨します」
 スズカ、と声に呼ばれた少女は、呼びかけに応じず、じっとディスプレイを凝視。
 「スズカ、キャプテン・スズカ、コマンダースーツの準備と今後の運行指針を--」
 「コリン」
 スズカの呼びかけがコリンの声を遮った。
 「あれ、人類の船なの?私の船と随分と違うね」
 「サイズが全く異なりますので、用途等も当船とは異なるもののと推察、ただし、地球発祥人類の建造物とはいまだ確定には至らず。ただ、空間振動のパターンと外観から考察される技術背景に共通点は多数」
 「どこの誰が作ったんだろうね」
 「不明」
 「面白そうな設計だね」
 「回答不能」
 スズカと声――コリンと呼んでいた――との会話は成り立っているようで成り立っていない。彼女の興味はコリンが報告する宇宙船の形状に集中しているようだった。
 「コリン、この全長60キロを越える都市型宇宙船の全てを司る処理能力を持つ人工知能であるあなたがそれだけ不明瞭な回答をするなんて珍しいわね。いままでたった一人でこの宇宙船にいる私の先生役を果たしてくれたのに」
 「スズカ、あなたと同族の可能性が高い相手であるだけに、私は慎重にならざるを得ません。人類同胞との邂逅は必ずしも善いことばかりではない、むしろ悲劇的結末を辿ることが多いことは、あなたに講義した通りです。私にとっては、あなたを守ることこそが最優先事項であり、ロボット達の行動の基本原則なのです」
 「ありがとう、コリン。あなたとロボット達に感謝を」
 「感謝を受け入れます、スズカ」
 「この船とあなたとロボット達を遺してくれた父様と母様にも感謝するわ」
 スズカがコリンに感謝を述べ、両手を組んでいまここにはいない両親への感謝の祈りを捧げたところで、傍らのナサニエルが面白くなさそうに一吠え。
 「ふふ、ナサニエルにも感謝してる」
 ナサニエルは満足げに尻尾を振った。
 「ナサニエルだけじゃなくて、この船にいる全ての機械と命に感謝しているわ。勿論、森の狐さんにもね」
 そうして、スズカはまた画面の中に浮かぶ正体不明の宇宙船に視線を移す。
 「この宇宙船って・・・・・・全体的には細長くて・・・・・・四つの円筒がくっついているけれど、あれ多分ブースターだよね。コリン、空間振動はあの四つの円筒に集中していない?」
 スズカの関心は画像から分かる範囲での宇宙船の形状に集中していた。スズカの問いにコリンは簡潔な回答を返す。
 「肯定」
 「だとすると、あの四つとも大きさから言って単極子エンジン内蔵なのかも・・・・・・主推進機は船体中央に配置されている筈だから、もしかして五つ?五つの単極子エンジン?一基だけで超空間航行を可能にする単極子エンジンが五つ?何それ?そんな莫大なエネルギーどうやって制御しているの?どれだけの加速力が得られるの?」
 もともと大きめなスズカの黒い瞳が好奇心の為にいっぱいに広がっていく。
 「凄い・・・・・・凄い!凄い!あれが全部単極子エンジンだとしたら・・・・・・そうか、船体との接合部に隙間がいくつも見えるから・・・・・・パンタグラフ構造になっているのね!エンジンそのものを動かして軌道制御しているんだ!もし私の考えている通りなら、とんでもない運動性能・・・・・・中の人間は耐えられるの?それとも、無人?」
 「有人宇宙船同士で用いられる公式英語による通信が傍受されています。地球発祥人類との推察はその使用言語より。会話に規則性は乏しく、おそらくは有人船かと」
 「だったら、宇宙船内部の慣性制御はかなり高度なプログラム・・・・・・そうじゃないと、あの四本の大型ノズルの説明がつかない。こちらと同程度の技術水準だとしても、あの大きさといい、周囲からの反応といい、単極子エンジン以外には考えられない。その四本ともに、船体の接続にはパンタグラフを使って稼働可能な構造としているし・・・・・・それだと、一体あの船はどれだけの加速能力と軌道修正能力を持っているのよ!それに耐えるジョイント構造・・・・・・ああ、ねえコリン、あのパンタグラフ部分の映像、もっと拡大出来ないの!」
 スズカは時間経過とともに興奮状態に陥っていった。自分の右手首のブレスレットにかける口調は、ほとんど怒鳴り声に近くなっていく。
 「現在の拡大率が限界。偵察用ポッドの使用も可能ですが、こちらの位置を把握される可能性があります。また、現在対象の宇宙船よりの無人ポッドに相当すると思われる観測機器が多数あり、危険管理レベルを上げつつ、ステルスモードへの移行と維持を推奨」
 「無人ポッド?」
 「形状としては、無人航空機に近いもの。有人機としては、構造、サイズともにあり得ません」
 「航空機って、大気の中で飛ぶ為の乗り物のことよね?データでだけは見たことある。この中にいると、航空機なんて必要ないし」
 スズカは、大気のある惑星の上で暮らしたことは勿論、行ったこともない。彼女は、いまいる世界の中から出たことは生まれて以来一度としてないのだ。
 「航空機の使用自体は、小型機に限れば、本船内部でも可能。プラントブロックでの製造組立には設計を含めて六時間が必要」
 「別にわざわざ作らなくてもいいよ」
 「了解」
 「コリン、無人ポッドが来るのなら、いま惑星上で活動している資源採集ロボットは、全て撤収させておいてくれない?無人ポッドが航空機の形状に近いってことは、翼があるってことでしょ?」
 宇宙空間を移動するためだけなら、「翼」など必要ない。スズカは、無人ポッドが惑星大気の中でも動き回ることを最初から想定して、航空機型のポッドを射出したのだと考えたのだ。そして、いまスズカのいる船がその船体を預ける軌道の惑星には大気と水があった。あいにくと大気組成がスズカやナサニエルが生きて行くには適さない為に、降下する気にはならなかったのである。ただ、相手方が惑星大気の組成まで掴んでいるかどうかはともかく、翼のある偵察ポッドを出してきた時点で、いま自分達のいる軌道も相手の偵察対象空域になっているのだとスズカは考えたのだ。
 「今更だろうけど、撤収すれば、相手をやり過ごすことも出来るかもしれないでしょ?活動を継続することで、わざわざ相手に見つかる必要もないんだし、リスクの低減は考えておかないと」
 「了解した。完全撤収には約五時間必要。完全撤収を要求するか?」
 「そんなには待てない。完全撤収というのは、どこまでのことを指すの?」
 「現在採集済みの水と鉱物資源の全ての回収、降下させたロボット全機の撤収、プラント施設で精製中の全生産物資の回収、プラント施設の解体と回収」
 「そこまで徹底する時間はないわ」
 スズカは唸りつつ腕を組んで思案した後
 「資源と水の量はもう目標数値分以上確保出来ているんでしょう?」
 とコリンに尋ねた。
 「肯定」
 コリンの回答は簡潔である。
 「ロボット達の帰還だけならどれくらいで可能?この場合、惑星大気圏下のプラント施設も物資も放置という前提で」
 「一時間とかからずに可能」
 「いまの条件に、プラント施設のデータの全削除を含めればどうなるの?」
 「一時間と二十分」
 「だったら、それでお願い。物資は放置で構わないし、プラント施設はデータのみ削除で回収はなし。ロボット達の帰還を最優先してちょうだい」
 「了解」
 「ロボット達に“お疲れ様”って伝えておいてね」
 最後にそう指示を出すと、スズカは表情から緊張をわずかに緩め、またまじまじと正体不明の宇宙船の映像を見つめ始めた。少しの間、そうして集中していた彼女だったが、気になったことがあるらしく、またコリンを呼び出した。
 「ねえコリン、あの船体中央で広がっている花弁?・・・・・・いや、帆かな?それとも殻?あれ何だと思う?」
 スズカが言うものは、正確には映像に映った宇宙船の中央よりやや後ろ側を起点にして広がる貝の殻のような構造物。それは、四枚構造でいまは広がっているが、おそらくは船体の先端部分までを覆うに足りるだけの大きさと開閉構造を有しているものだとスズカは判断した。だから、彼女は、花弁や殻という表現を用いたのだった。
 「周囲に重力反応と光エネルギーの集約を確認。おそらくは、単極子エンジンの空間歪曲効果を利用して恒星よりの輻射エネルギーを吸収しているのではないかと推察」
 「はー、設計した人は色々考えているね・・・・・・単極子エンジンと繋がっているなら、構造的に考えて、あれ、そのまま防護壁の強化にも使うことを私なら考えるな」
 心底感心したようにスズカは腕を組んで唸る。
 「防護壁兼用だとしたら・・・・・・それに五基の単極子エンジン・・・・・・コリン、あの宇宙船の大きさはどれくらい?」
 「光学観測により、全長約二百メートルと判断」
 「なら、あの四つのノズルの大きさはざっとみて四十メートル強・・・・・・そんな大型ノズルを主推進機と併せて五基、それに船首方向への外殻強化・・・・・・あの船、まさかあの大きさで亜光速での運用まで想定されているんじゃ・・・・・・」
 スズカがそこまで口にした時、全ての仮想ディスプレイが消失し、同時に先ほどよりも一段高いトーンの警告音が鳴り響いた。
 「警告、対象の宇宙船の射出した無人ポッドが本船の待機する惑星軌道上への接近コースをとった模様、また無人ポッドとは別に対象宇宙船と同規模質量の宇宙船の接近を感知」
 「何?」
 「無人ポッド、同規模質量宇宙船より発射されたレーザーにより撃破・・・・・・これより、最初に発見された要監視対象宇宙船をアンノウンA、同規模質量宇宙船をアンノウンBと呼称」
 「BがAの装備を破壊したと言うこと?」
 「肯定」
 「何なの?」
 不安に駆られて出たスズカの呟きに応える声はなく、代わりにキャタピラ音が彼女に近づいて来た。
 「ゴンザ」
 スズカが名を呼び、ナサニエルは尻尾を振って、その近づく者の出現を迎えた。
 「スズカ、コリンの推奨通り、コマンダースーツに着替えて緊急式体勢に移行することを提案する」
 キャタピラ音を響かせながら一人と一匹に近づいて来るのは、丸い頭部を持つグレーな塗装を施されたロボットだった。スズカに声をかけた後、ゴンザと呼ばれたロボットは彼女の眼前で反転、スズカにその背を向けた。
 その背には、彼女の手のサイズに合う大きさのフックが二カ所、そして、キャタピラ直上のフレーム部分、人間で言えば腰に当たる部分にはステップに相当すると思われる突起があった。スズカが慣れた様子でフックに手を、ステップに足を載せるとゴンザはキャタピラを勢いよく回転させ、スズカを載せたまま庭を駆け抜けていき、ナサニエルはその後を追って元気よく駆けていったのだった。
 「スズカ」
 庭を走るゴンザが背中のスズカを呼ぶ。
 「何、ゴンザ」
 「コリンより新たなデータの伝達、傍受した通信より、最初に発見されたアンノウンAの船名と思しきものが判明」
 「船名・・・・・・船の名前・・・・・・何ていう名前なの?」
 「シェラザード、自由戦艦シェラザードと自らを呼称」
 「シェラザード・・・・・・」
 その名を耳にしたスズカは、思案した結果、自身の中にある知識からある意味を見つけ出した。
 「シェラザード・・・・・・設計した人がつけた名前なのかな?」
 これは、スズカにとっては独り言のようなもので、特に回答を期待したわけではないのだが
 「不明」
 とゴンザは素っ気ない回答を返した。ただ、もともと答えを期待したわけではなかったので、スズカはその回答をほとんど気にすることなく、一人満足げに頷き、くすくすと小さな笑い声を漏らした。
 「シェラザード・・・・・・ふふふ、シェラザード・・・・・・ねえ、ゴンザ、コリンに伝えてくれない、最初に見つけた宇宙船のこと、アンノウンAなんてコードはやめて、ちゃんとシェラザードと呼びましょうって」
 「提案を受諾」
 「あの船が、この出逢いを素敵な物語として語ってくれるお相手であることを祈りましょう、コリン、ゴンザ」
 一人そう呟き、自分とゴンザの後を追って走るナサニエルを見やり
 「ナサニエル、あなたもそう祈っていてちょうだい」
 と語ると、期待に満ちた笑顔を前方に向けた。
 「シェラザード、自由戦艦シェラザードか・・・・・・自由戦艦ってどういう意味なんだろう?素敵な意味だったらいいいな」
 その笑顔は、今から先の未来に悲劇など信じない力強いものだった。
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