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オニ
子供の頃の友達の中に一人、どうしても名前も顔も思い出せない相手がいた。
近所の子だったのか?
学校の同級生だったのか?
年上だったのか?
年下だったのか?
どういう家の子だったのか?
どういう顔をしていたのか?
男の子だったのか?
女の子だったのか?
それらの情報がすっぽりと抜け落ちてしまっているのだ。
なのに、その子と一緒に遊んだ記憶だけはある。
具体的な場所は思い出せないのに、かくれんぼをしていた記憶だけは鮮明にある。
「もういいかい?」
「まぁだだよ」
そんなやりとりを、その遊び友達とかわした記憶だけは鮮明に残っている。
もやもやとした頼りない記憶、それは決して子供時代からずっと持ち続けていたと言うわけでもない。
新しい友達、新しい環境、そういったものに順次適応し、優先していくのは人間の成長の軌跡でもあり、それは彼の場合も例外ではなかった。
ただ、彼もある程度歳を重ね、ふとした時に若い時分のこと、少年時代のこと、子供時代のことなどに思いを馳せるようになった中で蘇る記憶というものもあるということだ。
いまの彼は、フリーのライターとして、それなりに忙しく働く身である。
お堅い時事問題などを取り扱うこともあるが、いま比較的多い仕事は「都市伝説」である。
掲載自体は、中高年向けの週刊誌であるが、読者から寄せられた「都市伝説」「怪談」の類を扱う彼の記事はそれなりに好評で、彼にとっては割と安定した実入りのいい仕事となっていた。
全国的に猛暑が予報されたある夏の日のこと。
彼は、読者から寄せられた情報を元に、郊外のある住宅地へと取材に赴いていた。
その町に古くからある廃墟から、この世のものとは思えないうなり声が聞こえてくると言うのだ。
事前に調査したところ、問題の廃墟はある大手企業の研究センター跡地という話で、実際、登記簿の履歴を調べてみると、全国的に有名なバイオ関連の企業の名前が出てきた。
その企業が、そこでなにかの実験を重ねていたことなどから、恐らくは機密保持の徹底が生み出す背徳感とバイオというものに対して人々が感じる不安感がないまぜになって生み出した都市伝説というべきもの……噂の正体についてはそう思えたし、実際、記事もその方向でまとめる積りでいたのだが……
実際に、問題の廃墟を前にして、彼の背中には季節にそぐわない冷たい汗が流れ始めていた。
「俺は、この場所に来たことがある」
子供の頃、多分、親の友人か何かがこの町に暮らしていたのかもしれない。
彼は、この町に来て、地元の「子供」と知り合い、そして……
そうだ、その時知り合った子こそ、彼がどうしても思い出せない遊び友達だった。
彼は、その子とここで知り合い、そして……
「かくれんぼをしたんだ……」
口に出してから、彼はカバンの中から、読者から送られてきたというはがきを取り出した。
そこには、この廃墟の住所と周辺地理に関して詳細に書かれていた。
下手、というよりも、明らかに「字を書き慣れていない」という感じの乱れた字体で。
彼は、自分でも気がつかないうちに、その廃墟に足を踏み入れていた。
「そうだ、あの時、俺は”オニ”だった。隠れているあの子を探していたんだけれど……」
この町の住人ではなかった彼は、行きずりの子供に過ぎなかった。
だから、あの子と遊んでいても、親に呼ばれたら、遊びの途中でもさっさと切り上げて帰ってしまったのだった。
「やあ……」
背後から声がした。
蘇った記憶のままの”あの子”の声。
子供とは到底思えないしわがれた途切れ途切れの声。
どうして、彼は”あの子”のことを思い出せなかったのか?いまでは、その答えがイヤと言うほど理解出来る。
思い出したくなかったのだ。
”あの子”の顔、いや、姿を……
「今度は……」
ずるずると何かを引きずる音ともに、しわがれた声が背後から近づいてきた。
「僕がオニになる番だよね」
有無を言わせぬ圧力を背中に感じつつ、彼は振り向くことが出来ずにいた。
「十、数えればいいんだよね?今度は途中でやめるのはなしだよ」
しわがれた声とは対象的な幼い子供そのものの台詞が、彼の耳元に届く。生暖かい息とともに。
彼は、黙って頷きながら、絶望感を味わいながら思った。
参ったな……隠れきる自信、俺には全くないよ……
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