Iホテルの一室。
シスターと呼ばれる女性が宿泊するスイートに、一人の青年がいた。
「あなたが来るとは聞いていなかったわね、シェリフ。」
シェリフと呼ばれた青年。年齢的にはシスターよりも少し上、三十代前半と思われる白人男性は、肩をすくめる。そして、その口から紡ぎ出されるのは流暢な日本語。
「本来は、今回の実験に参加する予定じゃなかったんですけどね。急遽です。何しろ、ポケットが余計なことをしてくれたんで……。」
「ポケット?」
「覚えていませんか?元スリだか、ストリートチルドレンだかの小僧ですよ。」
「ああ……確か、ポリスと仲が良かったわね。」
「そうです、そうです。あいつ、勝手にポリスについて行っちゃって、僕、連れ戻すよう命令を受けていたんです。」
「で、現地到着後は?」
「一応、シスターさんに全権がゆだねられているんで、その指示の元、行動しろと。」
「ふ〜ん……まぁ、いいわ。ところでポリスなら、もう死んだわよ。」
「ええ?」
シスターは、驚くシェリフの反応を見て口元に笑みを浮かべる。
「まさか、シスターさん、やっちゃったんですか?」
「違うわよ。」
「じゃあ、誰が?シスターさん含めうちの連中以外の誰が、ポリスを殺せるんですか?町の警官が、なんて冗談はやめて下さいよ。」
「まぁ、そう思うのは仕方ないわよね。」
言いつつシスターは、グラスにワインを注ぎ口につける。深紅の唇がねっとりと湿気を帯びる。
「相手は不明……としか言いようがないわね。でも、ポリスの生体反応が突然途絶えたのも、私たちの体に仕込まれた分解酵素の反応があったのも事実よ。」
「僕たちを殺せる相手なんて、この地球上じゃあ、軍隊以外じゃかなり限定されると思うんですけど。」
「その通りよ。でもポケットが動いているのなら好都合かもね。」
「どうしてです。」
「ポケットって、直情的でそのくせあの癖の一番強いポリスと仲が良かったのよね。今回の勝手な行動、ポリスの敵をうつことで帳消しにするって取引、喜んで乗ってくれるんじゃないかしら。勿論、こちらはこちらでモニターさせてもらうけど。ポケットが死んでも、その戦いを参考にブリーストとネイビーを向かわせれば済むことでしょう?」
シェリフは、シスターの言にしばし思考を巡らし
「ポケットとすぐに連絡はつけられるんですか?」
とシスターに尋ねた。
「簡単よ。彼の居場所なら、わたしの子供達がもう発見したみたいだから。」
「さすがはシスターさんですね。」
二人の話がそこまで進んだ時、テーブルの傍らに置かれた携帯電話が鳴り始めた。
「はい?」
電話を取ったシスターの顔に明らかな笑みが浮かぶ。
「シェリフ、代わりなさい。電話の向こうにポケットがいるわよ。」
緑川サチの話、正直和也にもその内容は信じられない内容だった。
しかし、あのクモのようなモンスターを一蹴した彼女の力は、彼女の育ての親、緑川綾子の説明でなら辻褄が合わないこともない。
一応、母子二人には今日の出来事と話の内容は誰にも言わないと約束したが、相も変わらず和也の中には釈然としない思いが渦巻いている。
その和也は、「グリーンリバー」のロゴがペイントされたバンの助手席にいた。
「じゃあ、清崎さん、頼むね。」
かつての岡部綾子、いまは緑川サチの母親役、緑川サチが話しかける相手、清崎は坊主頭のいかつい人物である。年齢的には綾子よりも少し上、六十前後の初老の彼は、グリーンリバーのお菓子作りを一手に引き受ける洋菓子職人である。外見からはとても信じがたいことではあるのだが……
。
「分りました。じゃあ、おかみさん、店の方はよろしく。」
「ああ、あとは開店時間もあと少しだし、清崎さんも立花君を送ったら、あがっていいよ。」
あたりはもう薄暗くなり始めており、さほど離れていないとはいえ、清崎が和也を送ることになったのだった。
見送る綾子の横には、サチ。
まだ、学校の制服姿のままである。
そのサチは、例によって落ち着かない様子ながら、うつむいている。何か言いたげなようでもあり、ただ所在なさげにしているようでもある。
「なぁ……。」和也の口が不意に動く。自分でも分らない。ただ、何か言わずにもいられなかったのだ。「緑川、お前、明日も学校に来いよ。」
「え?」不意を突かれたのだろう。サチの表情には明らかな戸惑いがあった。
「いや……自分でも何を言っているのか分らないんだけどさ……とにかく、学校には出てこいよ。」
「うん……。」
実にぎこちない会話ではあるが、サチの表情は嬉しそうに見えた。
「じゃあ。」清崎はそれだけを言うと、キーを回す。ディーゼルエンジン特有の大きめの振動とともに、白いバンが動き出しグリーンリバーを後にしていく。
「さてと……。」ゆっくりと腰をさすりながら、綾子は思考を巡らせる。彼女特有の癖で、口からその思考がついて出てくる。
「サチの戦った相手が何なのか分らないけれど、形や能力、変身、そして生命活動停止後、分解酵素で痕跡を残さないことといい、昔の組織の流れを汲む連中だろうとは思うんだけど……。」
もちろん、それを誰かに聞かれたとしても回答を期待しているわけではない。単なる癖だ。
「まぁ、そうそう改造人間なんて現れるとは思えないし……サチ、食事の準備するよ。」
と傍らのサチを見やると……。
そのサチが、額を押さえてうずくまっていた。
「サチ、どうした?」
声をかけてから、その額を見て綾子はぎょっとする。
「O(オー)シグナル、どうして?」
その額に浮かび上がっているのは、クモ型改造人間と戦った折に浮かび上がってきたビンディ。綾子がOシグナルと呼んだそれは、赤く点滅していた。さらにはその瞳は、日本人ならでは黒い瞳から深紅に染まっている。
「まさか、別の改造人間が?」
綾子の呟きに反応するかのように、サチの口から苦しげな呟きが漏れる。
「立花君……。」
その深紅の瞳は、和也達を乗せたバンが走り去った方向をまっすぐに見据えていた。