旧サイト或いはブログ等で触れていた記事をまとめています。
ナカのヒト考
旧サイトより引き続き、2007年に完結した管理人作のSF長編シリーズ
「ナカのヒト」に関する手前味噌の論考です。
◇「ナカのヒト」作成への道
まず、元々は某所掲示板でのやり取りがヒントになったのです。
「レインボー仮面」という特撮コントがあり、このサイトを発見したそのサイト管理人さんから、私(toku)と同じ匂いがする・・・などと言われまして・・・
私は私で、そのサイトの存在は知っていました。
http://park8.wakwak.com/~tokusatsu/rainbowclub.htm
そして、言われるまでもなく以前から・・・確かに私と同じ匂いを感じていました(笑)
で、ふと思いついたんです。
ヘッポコな変身ヒーローものを作れないだろうか?と。
そう、「ナカのヒト」発想のスタートはヘッポコヒーローものだったのです。
そのヘッポコヒーローもストーリーをひねっていく内に、「作品世界の人間全てが実は変身ヒーローで、何かある度に交代でヒーローに変身している」世界へと変わり、さらには「ヒーローが交代しているけれど、役目を終えると皆記憶を消去される」という設定が生まれ、さらに発展し「そうすると無意識レベルにいたるまでのマインドコントロールをしている超越的存在を設定しないと・・・」ということに思い至り、結果として「ゲイツ」という存在が生まれたのです。
「ゲイツ」というネーミングは・・・ネタ元はまぁ分かる通り(笑)ビジネス面では引退したそうだけど・・・
そうしたネーミングも、元々ヘッポコヒーローとして企図した作品だったからなんですね。ゲイツという名称はその初期コンセプトの名残です。
それがいつの間にか、シリアス路線に・・・(^^ゞ
「ナカのヒト2」についても同じようなもの。「変身ヒーローものがうまく行かなかったから、今度は魔法少女だ!」という着想スタートだったのですが・・・もう、このあたりの変遷は、進めていた本人にとっても何が何やら・・・(ToT)
◇ 「ナカのヒト」作者サイドから見たその流れ
作品の発表順に時系列を追うと、シリーズの構成は以下の順になります。
「ナカのヒト」 → 「ナカのヒト2」 (途中、短編の「走れ、脳みそ」) → 「西へ」(「ナカのヒト2」第81話壱式の続きとして) → 「来客前夜」
で、これを作品世界内での時系列で並べると
※人類がゲイツと遭遇する
↓(3000年後)
「ナカのヒト2」(第81話壱式迄)
「走れ、脳みそ」
「西へ」
↓(1000年後)
「ナカのヒト2」(第81話弐式)
↓(数百年後)
「ナカのヒト」
↓(数千年〜一万年後)
「来客前夜」
さらに、作者サイドから見た位置づけ
「ナカのヒト」・・・作品世界の構築
「ナカのヒト2」・・・構築された作品世界を基にして「物語」を作り出す。
「西へ」・・・「ナカのヒト2」の物語をよりエンタメ性を高めたものに。
一応、上記のような企みも作者サイドとしてはありました。
成功したかどうかの判断は、ご自由に・・・
で、ついでに言うと、「西へ」は、某コミュニティ関連で書いたのですが、位置づけとして「ナカのヒト2.5」という部分もあったのです。どういうことかというと、「ナカのヒト2」あとがきで「3」はないと言っていたのですが、実は「西へ」のあとがきめいたエピソードをこそ、「ナカのヒト3」にしようかという目論みも持っていたのでした。「2.5」という言い方をしたのは、これで様子見をして・・・という下心があったからなのですが・・・
そして「3」では、ゲイツの謎解き部分を結末に持ってきて、スサとユナの変てこ親子を主人公としたスペオペという路線で、多少考えたエピソードもありました。その活躍する世界は、「ゲイツの実験」からあぶれた人々(様々な種族の集まりにしてアンチゲイツ勢力)からなる銀河ネットワーク社会、そこで海賊めいた連中やマフィアみたいな連中、自警団の延長線のような軍隊などと手を組んだり、揉めたりしながら動くお話を考えていたのでした。
でも、まぁ当分は封印です。
次は、もう少し違う世界観の物語を作っていきたいと思っております。
◇ リアルとの接地点
さて、「ナカのヒト」シリーズはSFでありますが、広義でのファンタジーとして組み上げたつもりであります。で、ファンタジーというと、多くの人は魔法が飛び交い、ドラゴンが天を舞い、神々や精霊がその姿を見せる・・・そういった部分を連想することが多いのではないか?と個人的には思っております。
一方、それを受け止める側、読者側は、といいますと、ほぼ例外なく現実の生活を持っています。学校に行ったり、仕事を抱えていたり、それにまつわるしがらみに頭を悩ませ、人によっては家庭を持ってもいるでしょう。中にはもっと現実的で辛い状況を抱えている人もいるかもしれません。
そんな現実の生活を持つ人間が、果たして前述のごときファンタジー世界が延々と描写される世界に、すんなり感情移入できるでしょうか?・・・いや、あっさりしちゃうかもしれないけど^_^;
ファンタジー世界を描いているとはいっても、作品世界に登場するメインのキャラは、多くの場合「人間」であり、そのキャラが「人間」であることを読者側が大いに納得し、現実に生きる「自分」とリンクさせて見る「接点」が物語の中に必要なのではないか?
私はそう思いますし、同時にファンタジー世界を構築する上で、私にとっての信条ともなっております。
では、その接点をどこに求めるか?
私の場合は「食べ物」であります。
このあたりの考えは、どうも「ネタ」と思われがちのようであり、また私自身もそう思われてちと自信喪失気味だったのですが、ある創作系サイトの方とお話しする機会もあり、現在はまた自信を持ってそれを持論として言い切れます。
食べ物というと、料理の話とかそういうことかというと・・・まぁ、それがメインだったりするのですが、ちと考えを広げると、以下のようなことに対して考察を進めることが出来ます。
・物語の舞台は、暑いのか?寒いのか?(地理的・地政学的要件)
・海が近いのか?山が近いのか?河が近いのか?(地理的・地政学的要件)
・食文化は?それに伴いどのような調理器具がある?(文明の発達具合)
・流通形態は?(社会的インフラの発達程度)
・物語舞台は、商業地か工業地帯か農産地か?(社会・経済的要件)
ざっと思いつくだけで、上記のようなことを「食」から推察することも可能な筈です。また、「甘味」などは現実世界の発達具合ともリンクしていると、私などは思いますので、この辺りから物語世界の文明文化の発達程度を設定できるのではないか?と思っています。発達した社会では「スィーツ」の種類も豊富なのですよ♪
その世界の文化・芸術以上に、私は「この登場人物たちは何を食べているのか?」という部分に考えを及ぼします。
さて、その点から言うと・・・「ナカのヒト」シリーズはまだまだ甘いとしか(-_-;)
◇ ファンタジーに邪魔なもの
「ナカのヒト2」における物語世界は、現実世界で言えば「中世」に相当する文明レベルであります。これは、私が最初から「中世的世界観」でお話を進めようと思ったから・・・ではありません。
このお話を考えた時、大型小型を問わず「火器」の存在、そして高速な通信情報網の存在が邪魔だと感じたからなのですよ。
そう、ファンタジー世界を構築していく上で、文明の利器というものも良し悪しなのです。ことにこのお話では、教団なる組織と主人公サイドが対立するのは初期段階から決めていたので、大型の破壊兵器など存在したら、物語を引っ張ることもおぼつかない・・・そんな風に考えたのでした。通信情報網も同じ。双方がそのようなものを持っていては、互いの読み合いもあまり意味を持たないと。
結局、これらのものがない状況を想定しているうちに、「中世的世界観」に辿り着いたのでした。
話は脱線しますが、昨今のファンタジーにノスタルジックな世界観のものが多いのも、ひょっとしたら作っている側にとって「インターネット」が邪魔なのではないか?というのが、私の推論であります。
◇ バトルシーンについて
「戦争反対。平和が一番」
実に正論であり、恐らくは誰も異論を挟まないことと思います。
一方で、現実の歴史・そして世界情勢は戦争で溢れています。人類の歴史は同時に戦争の歴史であり、文明の発達と殺戮兵器の発達は大いにリンクもしています。インターネットにしても、携帯電話の通信技術にしても突き詰めれば軍事技術の転用です。(もっといえば、核の脅威がなければインターネットも携帯電話もいまのような発展はしなかったでしょう)
ファンタジー世界においても多くの場合、バトルシーンがつき物です。
で、このバトルシーン、つまりは戦争というものを考えていく場合、この項目冒頭のキャッチフレーズだけでいいのでしょうか?
戦争はいけない?ならば、なぜいけないのか?それに触れずにただ「戦争反対」とするのは、いささか短絡的ではないのか?と私などは未熟ながらも考えるのです。
個人的に「何故戦争がいけないのか?」へのアンサーは、「人の日常や倫理観が破壊されてしまうから」とこの作品では捉えています。短く言うと、「人が人でなくなるから」。
悲しいかな、いま我々が持っているモラルなども平和な社会の上でという前提が必要だったりするのでは?と思っているのです。
この作品では、残虐シーンは避けたつもりですが、それでも「戦争」という状況下での人の異常性というものは表したいと思っておりました。成功しているかどうかは、読んだ方のご判断にて・・・
一方で、私は残虐シーンの存在というものを否定はしません。
むしろ、そうした部分を連想させず、格好よさだけを追求したような作品の作り方の方がよほど誠意のない制作姿勢ではないかと、不遜ながらも思ってしまうのですよ。さりとて「鬱展開」はよろしくないし・・・さじ加減は難しいものです。
話は変わって、個人的にはバトルシーンというのは、書く私の側からするとあまり楽しくないのですよ。私はやはり、ご飯を食べたり、洗濯したり、掃除をしたり、ごくごくつまらないバカ話を登場人物たちが行うシーンの方が好きだなぁ(笑)
◇ 少女を主人公にするということ
「ナカのヒト」シリーズにおいて、われながら無謀なことをしたものだと思う最大の暴挙は、やはり「少女」を主人公にしたことでしょう。
「ナカのヒト2」でのナギは勿論のこと、第1作第一話での神崎ゆかりもそうですが、男性しかもおっさんである私が、十代の少女を主人公とするのはかなり厳しいですね、いかにイメージの世界とはいえ^_^;
だって、分からないでしょう?現在の十代、しかも異性となると尚更のこと。ましてや私は女心をよく理解しているモテ男ではないのだ・・・とはいささかブッチャすぎか?
同性にしても、「ナカのヒト」第2話のシゲオの十代の少年の気持ちなどもう分からないですよ。いや、それだけ私が汚れた大人になったということなんですけどね。
一方で、ファンタジーに限らず、作者本人とは年齢を含めた異なる立場の視点から物語を語るというのは、フィクション作りの醍醐味でもあります。その醍醐味を自分なりに味わおうかという下心はありました。
もうひとつは構成。
「ナカのヒト」第1作では、二人の主人公の視点と第三者の視点という振り分けを考えた段階で必然的に一人は女性となったという部分もあります。
そして「2」。こちらは、「魔法少女」という無謀を通り越した当初の構想もあり、というところか。
結論・・・やはり、おっさんには難しい^_^;
ティーンエイジャーの心境なんて、ティーンエイジャーでなくなった瞬間から理解不能なものと化すのかもしれませんね。特に異性の心など(ToT)
でも、多分・・・またやらかすと思います(爆) ←2008年8月現在、すでにやらかしている・・・
◇ 「ナカのヒト」は少女イジメなのか?
「少女イジメ」なる用語があります。
決して一般的ではないこの用語、某巨大掲示板にて耳にしたのですが、定義なるものを理解するにつれ、なるほどなと思いました。
いわゆる「セカイ系」と呼ばれるジャンルにおいて、過酷な宿命を背負った少女を描く物語に対して用いられるようです。
となると「2」での主人公ナギの物語もそれに当たるのか?
実は、そうなるのだけは避けたいなという思いもありました。
物語の最後の部分には、希望を残したい……「2」ではそう考えながら、ストーリーを組み立てていったのですが……。
ひとつジレンマとしてあったのは、ナミの存在です。
人に近い機械としての存在……まともに考えれば、その行き着く先は悲劇しかありません。ええ、私は原作版「キカイダー」を読んで感銘を受けた人間ですので^_^;
メジャー作品でも、スピルバーグの「AI」なども決して手放しのメデタシメデタシな結末ではないでしょう?
さりとて、あのお話はナミという超越者としての力を持った存在がいなければ成り立ちません。でも、悲劇としての結末は描きたくない……このジレンマから導き出された結論が、「2」におけるデュアルエンディングなのであります。
◇ 壱式と弐式
結果「2」では、最終話手前の81話を「壱式」「弐式」というふたつのパターンに分けました。
「本編のままの状態」では、ナミの悲劇は避けようがない……そうした苦肉の策なのでありますが、さて読んだ方はどう感じられたのか?
いまのところ(2008年8月)、この部分に関しての感想は、お一人からしかいただいておりませんが、ふたつのお話をそろえてこそ、初めてこの物語のエンディングが迎えられたのではないかという有難いご意見を頂きました。実にありがたいお答えであります。作者冥利につきまする。
このふたつの結末を受けての最終話のラストシーン。果たしてそれは本編から15年後のものなのか?それとも1000年後のものなのか?実のところ、作者にもよく分かっていないのです。ただどちらの未来ともとれる……そういうラストシーンにはしたつもりですが。
さて、上記の内容は「ナカのヒト」完結後、間もない時期(2007年8月)に旧ブログに記述した内容です。現在、展開中の当サイトの作品、その反省が活きているのかいないのか……判断は皆様にお任せ致します。