仕事中、突発的に思いついたものをまとめてみた。
「死んだ女房の幽霊と暮らす男」というワードが閃き、それをもとに書いてみました。習作というか下書きみたいなものです。
タイトルは、本エントリタイトルそのままで
##############
古い町並みの奥の奥、曲がりくねった路地の奥にその家はあった。
古い町並みに似合った古い家。
何度にも渡る建て増しや改修の名残か、古い木造の建屋とあちらこちらに近代建築素材の混じり合った雑然とした外観は、雑多な町並みに似合っていた。
そのちぐはぐな古い家に彼は一人で住んでいた。
最初から一人だったわけではない。
彼にだって父親がいて母親がいた。
しかし、両親ともに彼が学校を卒業して暫くしてから息を引き取った。
葬儀には親戚らしい人の姿は見られず、どちらの葬儀もひっそりとしたものだったという。
他に兄弟もおらず、たった一人で両親を看取った彼は、二人の死後、喪が明けるをまっていたかのようなタイミングである女性を妻に迎えた。
彼の妻となった女性は、奔放な男性遍歴の持ち主だったらしく、彼の両親が健在であったなら、交際には難色を示すタイプの年上の女性だったという。
口さがない近所の年寄りの声はあったものの、夫婦仲は良好だった為、仲の良い若夫婦であると好意的な声の方が多数を占めていた。第一、口さがない連中の多くは高齢だった為、一人また一人とそうした声を発していた者達は順々にこの世を去って行った。
しかし、幸福な時間はそうは続かないもので、今度は妻が彼の元を去る時が来た。
突然、体調を崩した彼女の妻は、原因不明の高熱を発し、彼が仕事を休んでまでつきっきりで看病したのにも関わらず、発熱して数日でまだ若いその命を散らした。
両親を亡くし、妻を亡くした彼はそれでもその古い家からは離れなかった。
勤務先からは遠く、地理的にも決して便利とは言えないその家について、職場の同僚や友人達は手放して別の場所に住居を移すことを薦めたりもしたのだが、彼は頑としてそれを拒んだ。
両親や妻の思い出が詰まっているその家から離れたくないからなのか?
つきあいの古い友人がそう尋ねたところ、彼はこう答えた。
思い出ではない、妻とはいまも一緒に住んでいる、と。
最初は、家の近くで妻の若い頃、彼が彼女と初めて出会った頃の少女の姿を見かけたことから始まったという。
何度も何度も、家の近くでその少女を見かけ、一度声をかけたところ、その少女は逃げるように姿を消したという。
それから、遂に彼の家に妻が姿を現したのだという。
彼の妻、亡くなった筈の彼女は、生前そうであったように彼の帰宅を迎え入れ、何をするというわけではないのだが、彼のすることをいつもじっと見守ってくれているのだという。
ただ、その時々で表情は変わるのだという。
仕事の話をすると、哀しそうな顔をし、そうではない他愛のない中身の話をすると、とても楽しそうな顔をするという。
彼は、生前の妻の笑顔が好きだったので、出来る限り他愛のない楽しい話を家の中で心がけ、時には彼女の好きだったおかずを自分の分と合わせて二人分食卓に並べたりもしていたという。
一度、彼の暮らしぶりを見るために、古い友人が彼の家に泊まったことがあるが、その夜、彼は延々と他愛のない世間話を誰もいない部屋の片隅に語りかけ、友人の分と合わせて「三人前」の食事を食卓に並べ、誰も手をつけることのない料理を並べた席に延々と語りかけ続けたという。
その夜が切っ掛けとなって、彼の周囲からはまた人が去って行った。
そして、ある日のこと。
「そろそろ潮時かなぁ……」
彼がたった一人で住まう広い家の天井裏から、一人の少女が姿を現した。
彼が家の近くで見かけたという亡き妻の若い頃に似ているという少女であった。
「ここなら、昼間誰もいないし、家が広い割にはおっさんが一人暮らしだしで、隠れて暮らすにはもってこいの場所だったんだけど……」
その”おっさん”は、延々と独り言ばかり言っているし、まるで幽霊を相手にしているみたいにふるまっているしで、見ていて気持ち悪くて仕方ない。
「まぁ、別にここを出て行ったとしても、住むところには不自由しないだろうからね」
何しろ、いまは少子高齢化社会。広い家に一人で暮らしている中高年世代の人間など、いくらでもいる。一人暮らしでは、家によってはとても家の中全てにまで目を光らせるのは厳しいものだ。特に古い家でかつ住人が現役の勤労世代となると。
少女は、そうした古くて広い家に隠れ住みながら生きてきたのだった。
「出て行く前に……もらうもの、もらって行こうかな」
少女は、世帯主である彼が平日何時に家を出て、何時に帰ってくるのか知り尽くしている。だから、安心して家の中を物色することが出来た。
「この家のおっさん、稼ぎはいいみたいだからね、どこかに現金を直し込んでいると思うんだけど……」
もれ聞こえてくる彼の話からすると、彼の仕事はどこかの大きな製薬会社の研究機関らしい。
どこかにあるであろう現金に期待をしつつ、箪笥の引き出しや収納庫の中をあさってみたものの、目に入るのは薬品の瓶や実験器具らしき道具ばかり。
「どうして、この家って、こんな薬ばっかりなんだよ」
不平を漏らしつつ家捜しを続ける少女は、ようやく書類の束が詰まった引き出しを見つけ出すことが出来た。
このあたりかな?と多少の期待を込めて、引き出しごと箪笥から引っ張り出し、中の物色を始めたが--
「何?ノート?」
そこには、色々な公的な書類とともに化学式が記載されたノートが一冊。そして、三人の名前が表紙に書かれたノートが三冊。少女は知らないことではあったが、そこに書かれた名前は、彼の両親と妻の名前だった。そして、名前の下には「臨床記録」と記載されていた。
「何だこれ?ページ毎に日付がつけられてる?」
目当ての現金が見つからなかった為、少女はがっかりと肩を落とした。少女には化学式の意味も、臨床記録に書かれた内容も理解出来なかった。
途方にくれた少女の目が棚に置かれたあるものを捉えた。
亡くなった彼の家族、両親と妻の写真が収められたフォトスタンド。
吸い寄せられるように少女は、その三枚の写真、ことに妻だった女性の写真に顔を近づけ、まじまじとその顔を覗き込んだが……
「何だ、言うほど似てないじゃん」
彼に姿を目撃された時、彼は自分のことを若い頃の妻に似ていると言っていたが、少女自身から見る限り、似ていると思える部分はない。
「若い女を見たら、何でも自分の女房の若い頃に見えていたのかね?」
死んだ女房恋しさのあまり、かなり精神が病んでいたのかもしれない。
そう考えてから、少女はぶるっと軽く身震いし、やはりもう引き上げ時なのだという思いを強くした。仮に現金を見つけることが出来なかったとしても、もうここに長居をするべきじゃない。
そんなことを思う少女の背に何かがあたり、「え?」と声をあげる間もなく、その細い体は何ものかの腕によって強く締め付けられた。
少女の体を締め付けたその腕の主は、少女を古く広い家の暗い暗い奥の間へと引きずっていった。
誰もいない「筈」の家の中、少女の悲鳴に応える者もなく、高齢化と人口減少の進む町内ではその悲鳴を聞く者もいない。
###############