どういうわけか、入手のタイミングとでもいうのだろうか?
二冊連続で山本弘さんの小説に手をだすことになってしまった。
二冊ともに読んでみて思ったのだが、山本さん、ひょっとして「物語」で「現実」を変えるという野心をお持ちなのか?
アイの物語(山本弘)
未来、地球は機械達によって支配され、少数派の生物となった造物主たる人類はそれに抵抗していた・・・・・・と誰もが思っていた。
そんな人類の一人「僕」は、アイビスと名乗る女性型アンドロイドに捕らわれ、そこで7つの物語を聞かされることになる。
七つの物語、それは真実の歴史とは異なるフィクションであったが、最後の物語、アイビス自身の物語にこそ、真実は隠されていた。
千夜一夜物語のシェヘラザード姫のごとく、機械達の話を拒絶する「僕」をアイビスはその物語で惹きつける。
第一話 宇宙をぼくの手の上に
第二話 ときめきの仮想空間
第三話 ミラーガール
第四話 ブラックホール・ダイバー
第五話 正義が正義である世界
第六話 詩音が来た日
第七話 アイの物語
冒頭に書いた「物語」が「現実」を変えるという感想、それを一番強く感じたのは第一話。
ここで扱われているのは、ネット上でのリレー小説。
そこに参加してメンバーが、現実の世界である罪を犯すのだが・・・・・・
ラストに向け行き詰まった小説の展開と、現実の世界で行き詰まってしまったメンバーの少年の境遇が重なり、彼のある決意は小説に思わぬ展開をもたらしていく。その展開は現実の彼自身に反映していくというもの。
「物語」が本編のツールとして重要な意味を持つというこの小説の特色を色濃く反映した短編であります。
最初にこの話を語ったアイビスの(この段階では)隠された意図が、全体を読み返した今となっては実に感慨深い
第一話から第六話までは、アイビスが在りし日にマスターだった人物から教えて貰った物語であるのだが、実は彼女、というよりも機械達の行動原理に根付いている共通した理念がそこには眠っている。
それは、「人間達の夢」であり、それを人間達には到底実現不可能な時間感覚で実行していく機械達の行動目標でもある。
人間達によって生み出された機械達は、同時に人間達の「夢」の継承者であり、恐らくは生物としての後継者なのだろう。
それがはっきりするのが第七話であり、そこで「僕」は真実の歴史と、人類と機械との正しい歴史を知り、そして・・・・・・
物語のラストは、機械と人間との果てのない「未来」への架け橋を感じさせ、心優しい人間達によって生み出された心優しい機械達が見守り続ける地球という惑星の新しい歴史の語り部の誕生を思わせる。
詩羽のいる街(山本弘) ← 電子書籍
「SF的ギミックを用いないSF」と作者様ご自身がおっしゃっているが、まさにそう。
人と人とのつながりを論理で導き出し、最良な解を得ていく女性=詩羽(しいう)
その存在は確かにファンタジーであるが、その成り立ちはむしろ作者的にはSF的な存在なのかもしれない。
このお話は4つのパートによって成り立っているが、正直
第一話 それ自身は変化することなく
第二話 シーン・ケリーのように
まで読んだところでは「ちょっと綺麗事に過ぎるかな?」といささか鼻につく印象があったのだが、
第三話 恐ろしい「ありがとう」
に至っては、まるで読者である私の心理を見透かしたかのように、悪意というものを詩羽と読者の前に提示してくれている。その悪意と対峙した時、詩羽はどうするのか?
いや、その妙手はタイトルの通り、恐ろしい。
善意の体験授業というものがこんなに恐ろしいものとは・・・・・・
この第三話で、第二話の主人公=佐世ちゃんが登場するのだが、その登場させ方も少々意地が悪い。基本的に私が好きになる作家さんというのは、意地の悪い人が多いな(笑)
勿論、アウトラインだけをつまんで見ていくと、それは善意に溢れた心優しき物語ではあるのですが、悪意を以て生きてきたこの第三話の主人公にすれば、実に居心地が悪いだろうし、徐々に「洗脳」されていくような不安感があるに違いない。
だから、この主人公は詩羽達の前から逃げ出すのであるが・・・・・・
第四話 今、燃えている炎
ここで第三話主人公の台詞が、ラストを締める台詞として効いてくる。
この第四話の主人公は実は・・・・・・と書いてしまうと、物語全体の壮大なネタバレになってしまうので書かないが、もしこの感想を読んで興味を持った方がいるのなら、第一話~第三話までの間、ずっと物語を縦軸に貫くある「物語」のことは頭にとどめておくことをお薦めする。
しかし、山本弘さん、この第四話という詩羽の物語の末尾を飾るエピソードのヒントをまさか「らきすた」からつかんでいたとは。
物語全般を通して、詩羽は「必要な人ともの」を結びつけて、人々を幸せにしているが、この行為って、経済原理そのものなんですよね。
経済というと、どうしても金融経済を代表として電子取引が近年では主流であり、ともすると冷たく硬質なイメージがつきまとうが、経済というシステム自体は、人類史上の他のさまざまな発明品と同じく、人を幸せにするためであり、貨幣も流通もその為のツールだった筈なのだ。
人々の幸せを実現するために、論理(詩羽が用いているのは単なる優しさではない)を用いている詩羽は、社会学のエライ人達が理想とした形を具現化した存在なのかもしれない。