さようなら原発“17万人集会”坂本龍一「たかが電気のために…」
原発、電力関連のツィートというのはしかし絶えないなww 大体ロムっている私だが、先だっての坂本龍一氏の発言は色々引っかかるな。電力にしたって色々な人が必死こいて働いているからこそ、その恩恵にあずかれるわけだしな。彼の発言には電力供給者への敬意がない。これは原発に賛成反対とは別の部分の話。
医療機関で命を支えている電気もあれば、
音楽を奏でてくれる電気もあるし
芸術品保管を支えている電気もある。
出版、通信、電子媒体、情報を送り出してくれる電気もあり
学術研究を支え、次世代の技術や宇宙の真実を知る手助けをしてくれる電気もある。
「たかが電気」だが、「されど電気」
集会に集まった人達を家路に送り届けてくれる電気だってあるだろうに。
それを「たかが」というのは、あまりに電力を生み出している人達に対して失礼な態度に思える。
「おいしい野菜を作る」「その為に努力を惜しまない」←たかが野菜、場所を変えれば、こう言っているようなものでは?
また、これはある意味余計なことだが、私にしても透析患者である以上、電気のお世話にはなっている。
その医療機関にしても、節電の波からは逃れられず・・・・・・で、計画停電が本当に始まったら、スケジュールがとりにくくなることは言われている。
故に、今年の夏は特に体調には気を配るようにとのお達し。
これ、人によっては本当に命の危機なわけです。
経済よりも命・・・・・・
たかが電気・・・・・・
私に言わせれば、「コンクリートから人」と同等かそれ以上に嘘くさい言葉に過ぎない。
経済よりも命、といって、危険に晒される命がある。これが現実だ。
たかが電気がないばかりに、命のつきる可能性もある。これまた現実。
で、話は変わって、冒頭の話だが、誰か声の届く人が言うべきだ。
「あんたの音楽は確かに最高かもしれないが、あんたの言っていることは最低だ」と。
私個人は、電力量が確保できるなら緩やかな脱原発が理想という考えに近いが、冒頭記事の人達にはついていけない。