タイトルは後で考える・・・
僕には歳の離れた妹がいた。
妹は小さな頃から「兄ちゃん」とたどたどしい声で僕の後ろをついてきたものだ。
女の子の人形を抱えながら。
セルロイドで出来た古びた青い目の女の子の人形。
それは、祖母の代以前からあったもので、どういうわけか妹は両親が買ってくる新品の玩具よりもその古びた人形がお気に入りだった。
妹が物心ついた頃、僕はちょうど高校受験を控える中学三年生だったのだが、僕が机に向かって勉強している横で人形相手におままごとに興じていたものだ。
ただ、その「おままごと」を妹がどこで憶えてきたのは、考えてみれば不思議な話だった。僕と妹の住んでいた実家の辺りは今でも光回線が届いていないほどの田舎で、まわりに妹に近い年代の女の子なんかいなかったし、当時三歳だった妹はまだ幼稚園にも通っていなかったのだ。
両親に聞いてみたが「誰かに教わったんでしょう」ということで話が終わるだけ。
「教わった?誰に」と僕は疑問に思ったのだが、「TVにでも出てきたんでしょう」という両親の説明に、そんなものかもしれないと無理矢理自分を納得させていた。
そして、時は移り、妹は幼稚園に通うようになり、やがて小学校に通うようになった。
この間の妹の成長は、僕たち家族から見るととても目覚ましいものがあった。
とにかく、色々なことに早熟だったと言っていい。
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そうしたことを、同年代のどの子よりも早く憶え、僕たち家族を驚かせていた。そのことに気づいた親類の一人が「よく勉強してるのね」と感心して見せたが、当の妹は素っ気なく「教えて貰った」としか言わない。
誰に?と聞いても「内緒」としか答えない。
不思議に思っている僕たち家族だが、それ以上に追及はせず、この問題は有耶無耶なまま終わっていた。
そして、妹が小学校の三年生にあがった時、事件は起こった。
妹が交通事故に遭ったのだ。
それはあまりにも理不尽な事故、いや犯罪だった。
飲酒運転の車が、通学途中の児童の列に突っ込んできたのだった。
その列の中には妹がいた。
即死だったという。
事故が起こった当時、大学生だった僕は実家を出ていたのだが、急遽戻った実家では悲嘆にくれた両親の姿を見るのがとても辛かったことを今でも憶えている。
身内だけの慎ましい葬儀の中、納棺となった時、当時まだ存命だった祖母がかって彼女のもので、妹のお気に入りだった人形をそっと妹と一緒に棺の中に入れた。
「我が家の女の子の守り神みたいなものだったんだけどね……せめて、あの世でこの子を守ってあげてね」
祖母は泣きながら妹とともに自分自身が幼少の頃ともに遊んだ人形に別れを告げた。
我が家にとって一番辛くて哀しい時期だったその日から一週間と経たないうちに、妹を轢いたドライバーが心臓発作で死んだことを知ったのは、それから随分経ってからのことである。
そして今、僕は大学を卒業した後、大学のある街でそのまま就職し、伴侶を得て新しい家庭を築いていた。子供も生まれ、今年で三歳になる。
妹が亡くなって以来、僕は実家に帰るのが何となく躊躇われていた。
実際、帰省したのも、就職の準備と祖母の葬儀の時、その二回だけだ。
ただ、子供が生まれたこともあり、いい機会だからと妻に奨められ、妻と子を連れ夏の休暇を利用して一度帰省してみることにした。
僕達家族を両親は歓迎してくれたし、孫に当たる娘相手には祖父母らしく相好を崩して見せた。
久しぶりに母の手料理に舌鼓を打ち、父とビールを飲み交わし、妻と子が寝ている部屋に足を踏み入れた時、僕は強烈な違和感にとらわれた。
娘の寝ている布団が不自然に膨らんでいるのだ。
娘を起こさないように気を遣いながらそっと布団を剥いでみると、そこには――
かつて祖母が、妹が大事にしていたあの人形が、妹とともに火葬場で焼かれた筈のあの人形があった、いや、いた。
何だか悪い夢を見ている感覚に陥った僕は以後のその夜の記憶がない。
ただ、古びた人形とともに遊ぶ娘の姿に、妻も両親も何の違和感も感じていないようだった。
まるでそれが当たり前の景色のように。
いま、僕の娘はその人形に色々なことを教わっている。