参加している「書き込み寺」企画用として考えていたが、どうもテーマからはそれそうだ。
それでも、思いつくまま、とりあえずじわじわと仕上げてみようと思う。
タイトルはまだ未定。
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駅前の広場は、子供達でいっぱいだった。
キャッキャッとはしゃぐ子供達の声を聞いていると、何だか弾んだ気持ちになってくる。子供は可能性の塊だ。どういう大人になるのか、いまの段階では想像できない。例え、彼らの子供時代が何度もやり直されたものでも、だ。
昔、この国は少子化に悩んでいた。
当たり前である。
子供を育てるのに適した環境を、社会が供していなかったのだから。
そのことを社会、国家が認識、反省し、体制を大きく見直したのが数十年前のこと。
しかし、その時には、全てが手遅れになっていた。
同時進行で超高齢化社会が到来してしまっていたから。
少ない若年層に頑張って貰うには、もはや何もかも手遅れだったのだ。
しかし、そこは技術立国。
問題点をテクノロジーによってカバーすることに成功した。
ひとつはクローニング。
西欧圏では禁忌の技術とされていたこの技術も、この国ではそこまで大きな問題とはならず、独特の進歩を遂げていた。
ただ、クローンは所詮は複製。
できあがった複製の体は、あくまでも塩基配列に基づいたコピーに過ぎず、タンパク質の塊に過ぎなかった。その体を動かすソフトウェア、古来より「魂」と言われるものは作り出せなかったのだ。
人間の手では「ガフの部屋」は手に入らなかった。
そこで登場したテクノロジーがDNAコンピュータである。
と言っても、本当に塩基配列だけで動くコンピュータというわけではない。
実際には、人間の塩基配列に近い塩基素子コンピュータと電子デバイスとの組み合わせによって演算処理を行うコンピュータであり、これは実用化の目処が立つと同時に猛烈な勢いで小型化が進んだ。
結果、それは人間の体内に納めされるほどの大きさにまで小型化され、いまに至る。
小型化と人体へのインプラント、それは先ほど述べたクローニングにおける問題点の解決のためである。
「ガフの部屋」は手に入らなかった。ならば、元からあるものを利用すればいい。
人体に埋め込まれたDNAコンピュータは、本人の脳とともに情報をため込み、処理していく。完全なもう一つの脳として。
そして、本体が寿命を迎えた後、DNAコンピュータは取り出され、新しい体に移されるのだ。
新生児となった体に。
いままでの人生の経験値とともに。
人格というソフトウェアとともに。
まさに人生の再生である。
こうして、二つのテクノロジーを両輪として、町には子供が溢れるようになった。
同時にこれは実質的な「不老不死」の実現でもあった。
故に、現代では人の命の価値は著しく軽くなった。
グシャリと嫌な音が近くでした。
また、駅ビルからの飛び降り自殺のようだ。
最近、とみに増えている気がする。
その為か、周りで騒ぐ人はいない。
発見した駅の職員だろうか?まだ二十歳そこそこ(と言っても多分実年齢はかなり高齢)と見える青年が、露骨に嫌な顔をして、携帯電話を操作している。死体処理を関係機関に依頼しているのだろう。
何か特別な事情でもない限り、死体からはDNAコンピュータが抜き出され、また新しい体に移される。
そうして、新しい人生を再スタートさせるのだ。
このところ、このリスタートを狙って、意図的に人生をリセットする者が増えてきた。政府の方でも問題視し始めており、意図的なリセットに対しては何らかのペナルティを科すべきという声もあがり始めている。
そのせいか、「駆け込みリセット」とでもいうべき自殺が増えているのだ。
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仕上げたものを、アイオンか13号の続きと一緒にアップできればいいが