ウォールストリートを見てきました。
前作「ウォール街」から23年。
前作では、M・ダグラス演じるゴードン・ゲッコーというキャラクターがあまりにも立ちすぎていて、当時はゲッコーに憧れて金融の世界に身を投じる若者もいたそうです。
ただ、O・ストーン監督としては、ゲッコーのようなウォール街型の拝金主義には本来批判的であり、作中対象的な立場として描かれた主人公バド(C・シーン)の父親(M・シーン)にむしろ立場は近かったらしいのですが、ゲッコーというキャラクターを得て、これを魅力的に表現したいという誘惑には勝てなかったのでは?
ということで、この続編は、ラストを見れば分りますが、ある意味、金融経済、拝金主義への批判という面では同監督のリベンジととれなくもないです。
でも、やっぱり、ゲッコーを魅力的に描く誘惑には勝てなかったのだな、これが(笑)
経済、それも光の速度で国家予算規模の巨額マネーが世界中を飛び交う金融経済を映像で表現しようとした場合、重要なのはスピード感。その点では、前作での経験もあり、この映画はなかなかのものです。
金融経済と言えば、サブプライム問題は作中でも触れられておりましたが、
サブプライムで瀕死の状態となったアメリカ金融界が、国家補償とは別に、日本の大手金融グループに莫大な額の資金を注入してもらったことは映画の中では触れていなかったですね。
中国の重要性などは描写していたのに・・・・恩知らずどもが(笑)
アメリカとしては、メンツにかけても、日本の資本に助けてもらったことは自国民に対して自分の口では語りたくないのか?
次にネタバレをひとつ
この映画の中、実は前作の主人公、バド・フォックスが出てきます。
チャーリー・シーン、しっかりと老けてました。
ただ、感慨深いのは、マネーゲームの虚しさをいやというほど味わったはずのバドが、どうも相変わらず金融の世界に身を置いている様子なのが何とも言えない感じ・・・人は変わることは出来ないのか?
先ほど、ゲッコーに憧れる若者が・・・と書きましたが、私にとってもゲッコーはヒーローです。
ただし、ダークサイドの(笑)
ゲッコーにあこがれはしても、ああなりたいとは思わなかったですね。
むしろ、「ああ、俺は絶対にこうした世界では生きていけないな」というとらえ方をしておりました。ええ、負け犬根性です(爆)
その意味では、そうした世界に向かわなかったのは、ゲッコーさんのおかげ?(笑
ゲッコーの生き方、方法論・・・こうしたものを見ていると、かつて山一証券倒産時の社長が
「金融の世界に信頼などというものはない」
と語った言われる理由が分ります。
いや、もう、本当現代の百鬼夜行の世界ですよ。
特に、映画後半でゲッコーの元に姿を見せるある人物を見ていると
この妖怪ジジイがぁーーーーー!!
と叫びたくなること必定。
裏切り、だましあい、風説の流布、飛び交う怪情報
マネーゲームの熾烈さと、ゲッコー語録とでも言うべき名台詞に触れていてふと思いました。
人間という生き物は、何がしかのゲームをしていないと生きていけないのではないか?
バブルを前提とするゲッコーの経済観は、出来れば与したくはない考え方ですが、そうした狂乱したゲームの数々が人類を進歩させてきたのも事実。
当然、その裏では数え切れない人命が失われているわけですが、人類の闘争本能はそれから逃れることは出来ないのかもしれない。
何しろ、今回の主人公、シャイア・ラブーフ演じるジェイコブに言わせれば、最初のバブルはオランダのチューリップ事件ではなく、カンブリア紀にまで遡るらしいですから。
ところで主人公の名前がジェイコブなのは、「ヤコブの梯子」からなんでしょうか?
ゲッコーを人間達の生きる世界に引き上げる為の梯子への案内人?
ゲッコーが本当に改心したかどうかは、見る人の解釈次第でしょうが。
最後に、作中前半で開かれたゲッコーの講演会で、彼が疲労したステロイド経済に関するスピーチは必見ですぞ。
でも、刑務所の塀の中から市場の狂乱ぶりを見て、その愚かしさを誰よりも知っているゲッコーが再びその狂乱のゲームに復帰していくという構図は「つくづく人間という生き物は度し難い」様そのものですね。
嫌いじゃないが、関わりあいにはなりたくない(笑)
(しつこく追記)
「欲は合法」と語るゲッコーさん、「強欲が善の時代は終わった」と語る鷲津さん(ハゲタカ)と対決させてみたい♪
動画貼り付けは、素直にウォールストリートじゃなくて、「ハゲタカ」を貼ろうwwww
日本が誇れる数少ない本格経済ドラマのひとつだ!!